オルキリア元ちきーた

ヒューゴの不思議な発明のオルキリア元ちきーたのレビュー・感想・評価

ヒューゴの不思議な発明(2011年製作の映画)
3.2
時計職人の父を亡くしたヒューゴは、
駅の中に住み、駅の中の時計のネジを巻く仕事をしている叔父に引き取られ、
ゼンマイや歯車だらけの空間で、
亡き父の残した壊れた謎のカラクリ人形を修復する夢を抱いて生きていた。

駅構内の売店で
細々とゼンマイオモチャを売る老人ジョルジュの目を盗み、
カラクリ人形の修理部品をくすねていたのがバレてしまい、
ジョルジュにカラクリ人形の構造を記したノートを取り上げられてしまう。

ジョルジュの家に暮らす、読書好きで夢見がちな少女イザベルと知り合い、
何とかしてノートを取り返そうと試みる。

それが物語が動き出すきっかけだった。

バラバラだった機械の部品を1つひとつ組み立てていくように物語が紡がれる。

しかし、機械仕掛けの自動書記人形はあくまで次の展開を招くキッカケに過ぎない。

イザベルは養父ジョルジュに映画を観ることを禁止されている、とヒューゴに話す。
そこでヒューゴとイザベルは映画館に忍びこみ、ヒューゴは父と観た映画の話を始める。
「映画を観ている時は嫌なことを忘れられる。」
と、唐突に物語の主軸は映画への憧憬にシフトしていく。

このエピソードは、ほぼ監督マーティン・スコセッシの少年時代の映画への情熱をなぞっている。

映画についての疑問を解決する為に入った図書館で知り合ったタバールと出会いもやや強引な展開に感じる。
この突如現れたタバールは、とある伝説の映画監督ジョルジュへの愛を語り出す。

このタバールという登場人物は、監督マーティン・スコセッシそのものである。

タバールが熱烈にファンであると語る
「忘れ去られたかつての名監督ジョルジュ」は、
スコセッシが尊敬する不遇の名監督エリア・カザンに他ならない。

名作「エデンの東」「欲望という名の電車」やアカデミー受賞作「紳士協定」「波止場」など傑作を生み出していたにも関わらず
作品中でいう戦争…実際には共産主義弾圧による赤狩り…で仲間を売った裏切り者として
エリア・カザンは映画界から閉め出されてしまう。

その監督をまた映画界の表舞台に引き戻したのは
少年時代に映画館に忍びこみ、
エリア・カザンの映画を観て映画監督になる決心をしたマーティン・スコセッシがやっている「古き良き映画を保存・修復をする活動」であるのは間違いない。

このスコセッシの過去の話がそのままタバールのエピソードになっている。

この映画は、マーティン・スコセッシ監督のエリア・カザン監督へのラブレターであり、映画という芸術への愛情アピールである。

「夢を生み出すところ」が映画製作の現場だと語るシーンもある。
悲しい事や辛い事を忘れ、ひととき夢の中で楽しい時間を過ごせる映画と
人間の作る機械には無駄なものは無く、全てが何かの役目を持っている…人間だって無駄な存在などはいない、というメッセージが印象的。

監督の映画への愛がやや空回りしている感がして、強引な展開がちょっと辛い。
ドキドキワクワクのファンタジーとしては弱さを感じてしまうし、ズシリとくるメッセージも弱い気がしてしまう。

しかし、時計塔の歯車の中を駆け巡る視点の動き、カメラの長回しでの臨場感や駅構内の喧騒溢れる空気感など、その場の臨場感は流石に巨匠の力技に思う。



追記:イザベルの祖父ジョルジュは、フランスの特撮映画の父と言われるジョルジュ・メリエスのこと。劇中の白黒作品もメリエスのもの。
スコセッシ監督の現在の活動はタバールの活動そのものだと思う。
ファンタジーの形を借りた映画の歴史学習映画というスタイルだろうか。