LalaーMukuーMerry

お早ようのLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

お早よう(1959年製作の映画)
4.3
ぼくの名はミノル、中学1年生。三宅邦子似の優しくて厳しいお母さんと、笠智衆似の真面目で怒るとちょっと怖いお父さんと、久我美子似のきれいな叔母さん(お母さんの妹)と、小学校低学年でいつもぼくの真似をするかわいい弟(イサム)の5人で一緒に暮らしています。家は土手のすぐ近くの住宅街にあります。隣近所はみんな同じつくりの平屋建て一軒家なので、区別がつきません。だから酔っぱらった隣のお父さんが間違えてうちの玄関に入ってくることがあります。
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友達は隣近所の同級生です。僕たちの間では、おでこをツンと押してもらうと“クーッ”とおならを鳴らす遊びが流行っています。これができるようになるには、お芋だけではなく軽石の粉を混ぜて食べるのがいいと聞いたので、それを信じて食べ続けたおかげで、弟も一緒に大分上達してきました。でも何と言っても、この達人はゼンちゃんのお父さんです、ラジオ体操しながら音楽に合わせて何度も“グーッ”と音を鳴らせるし、この音で奥さんを呼ぶことさえできるのです。
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お隣には若いきれいな女の人がいるのですが、お母さんたちにはあそこに行ってはいけませんと言われます。西洋の寝間着をきて寝る変なうちだからです。でもTVのある家はそこだけだから、僕たちはいつもお相撲を見せてもらいに行きます。なので今日もまた叱られました。
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見たいから行くんじゃないか、家にもTVがほしい、買ってよーと言ったら、余計なことを言うんじゃない!とお父さんに厳しく怒鳴られました。
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でも今日は口答えをしました。大人だって余計なことばかり言ってるじゃないか。「こんにちは、おはよう、こんばんは、いいお天気ですね、あぁそうですね、あらどちらへ? ちょっとそこまで、あぁそうですか、なるほどなるほど」・・・
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今日からぼくは余計なことを言わないように黙りつづけて抵抗することにしました。弟もぼくと行動を共にしてくれました・・・
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子供にとって大人の会話は余計で無駄なことばかり、肝心なことは何も話してないようにみえるのでしょう。でも余計なこと無駄と思えることも実は大切、余計なことを話しているから大事なことも話せるようになるのですね。そんなことに気づかせてくれる、ごく普通の家の、ごく普通の日常を描いた、とてもユーモラスでかわいいほっこり作品。