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ジョゼと虎と魚たちの海のレビュー・感想・評価

ジョゼと虎と魚たち(2003年製作の映画)
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誰かと1対1で関わるとき、一番くるしいのが「できない」ってことだった。たとえわたしと相手でパズルのピースのような完璧な凹と凸を持って欠陥を補い合えるとしても、ひっこんでいるならそこに相手を受け入れなくちゃ、とびだしているならそこで相手を受け入れなくちゃ、でもわたしには、ずっとそれができなかった。誰のことも好きになれない、誰にだって本気で話せない。できない、近づけない。ごめんなさいと仕方ないでいっぱいの頭の中。わたし、本当にこのあいだ、数週間前、『運び屋』いっしょに観に行った彼と別れた。「俺のために海さんに流れる大切な時間を使ってくれてありがとう」って言って告白してくれた彼、わたしの好きな映画ばかり一緒に観てくれた彼、くすんだグリーンのワンピースを一日に六回も「似合うね」って褒めてくれた彼、わたしは彼と居るあいだに何度、隣に居るのが襟足くんだったらと考えたろう、映画を観ながら思い出すのもレビューに散文詩の振りして書き連ねた告白も全部襟足くんのことだった、彼が「似合うね」って褒めてくれたワンピースでわたしは襟足くんに会いに行ったし、彼と付き合っている間もずっと襟足くんのことが好きだった。わすれるためにほかの人と付き合ったこと忘れてない。でもこの期に及んでまだわたしは、襟足くんのことを好きになっている、苦しかった、できない、の連続だったから。彼と居る時間が好きだったのに、時間を重ねれば重ねるほど、なんて呼ぶべきかすら分からないこの気持ちのもとへもう二度と戻って来られなくなる気がして怖かった。猫みたいな襟足と、虫の一匹も殺せないような優しいあなたのことが、どうしても好きで消えてくれない。あなたがたった一回笑ってくれるだけで、わたしはもう一生涯ほかの誰かと愛しあえなくても生きていけるって本気でそう思った。それ以外の理由なんて無くって、だからそれ以外に起因する何もかもはできなかった。ありがとうともいとしいとも違う、好きって、ひとつの海だ。 「うち好きや。あんたも、あんたのすることも好きや。」 見える何かのために我慢して、見えない何かのために頭下げて、でもそれすらもいとしくて、わたしたちは生きてるんだとして、そしたら悲しくなんかないはずなのにね、なんでこんなに苦しくなるんだろうか。あなたのことが好きで、あなたのすることも好きだ。ほかの器じゃダメでほかの海でもダメで、ことばひとつ、いきづかいのひとつ、あくびのひとつ、ねがいのひとつでさえ、あなたのそれだから好きだ。わらって、おこって、さけんで、泣いた、ジョゼへ、わたしも海に行くたび貝殻や生き物の骨やガラスや鳥の羽を拾って帰るよ、猫と暮らし始める前は虎が一番好きな動物で怖くなんてなかった、わたしはiPhoneに登録してる名前を自分の名前じゃなくて「内藤 濯」にしてるよ、ないとう・あろう、『星の王子さま』を訳した翻訳家のひとりだよ、ジョゼ、サガンの小説の登場人物から名前を取ったあなたと、わたしは似ているのかもしれないと思いました。できなくてもいいって知っていたけどわたしそれを誰かに認めてほしかった。それでいま全文読み返したけど、ださいな、くだらないな、ここまで読んでくれたひと、あと少しで読み終えたら、全部忘れてください。さよならも上手くできないくせに、でも、好きなの 海のきらめきの死骸は真っ白で、魚たちはとんでく、泳げないからとんでく。
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