Melko

千羽づるのMelkoのレビュー・感想・評価

千羽づる(1989年製作の映画)
3.8
「お母ちゃん、白血球の数が10万を超えると、死ぬるんじゃと…」

「許せん。原爆が、許せん…!」

前々から📎していた作品。
絶対今日見ようと決めていた。
広島平和記念公園 原爆の子像のモデル 僅か12歳で亡くなった佐々木禎子の青春と闘病の日々を描く。

前半はほのぼの学校パート。
禎子はしっかり者の小学6年生。実家は理髪店。
昔は運動会って春・夏開催だったみたい。禎子の属する6年竹組は、春の運動会 クラス対抗リレーでドベになる。担任の渡辺先生から「団結力の無さ」を指摘され、それから毎日、クラスはリレーの練習。頑張った甲斐あって、秋の運動会 リレーは竹組1位に。アンカーを務めた禎子。
様子がおかしい。風邪と思いきや、一向に良くならない。念のために受けた検査で、原爆症である白血病であることが発覚。なんと数ヶ月、もって1年の命だと。
そこから、ほぼ母親と二人三脚の闘病の日々が始まる…

一人の、どこにでもいる普通の女の子が、原爆由来の重い病に苦しみ、段々と衰弱していく。ついこの間まで、あんなに元気で活発で、走り回っていたのに。
劇的なドラマやわざとらしい表現はあまりない。少しずつ迫る、命のリミット。

禎子役の女の子の、儚く切ない表情に胸が締め付けられる。
そして、倍賞千恵子演じる母親との絆。
母は、あえて病名を禎子に伝えなかった。でも実は禎子は自分の病名を知っていて、カルテを盗み見ては、白血球の数値をメモしていた。どんな気持ちだったのだろう…
「お母ちゃんここに泊まろうか」
「ベッドで横になって赤ちゃんみたいに抱きながら寝てあげようか」
こんな時だから、原爆症=不治の病と知っているからこそ、終わりが分かっているからこそ母親は「思い切り甘えていいんだよ」と申し出るも、思春期の禎子は断る。切なかったなぁ……甘えてあげてよ…
この時は、まだ「自分は治る」と思っていた禎子。だが、、
自由が効かず、痛む身体、突きつけられる現実。子どもには残酷すぎる。

12歳の子供をおぶってトイレに連れて行く母。修行のような後ろ姿。辛いけど、辛くない。きっと、何だってできるって気持ちだったのかな。

クラスの中でも、どちらかとゆうとリーダータイプだった禎子。危篤の場に駆けつけた友人たち。彼女の病名を知ってなお、見舞いのたびに「なぁんだ、元気そう!」と勇気づけていた。現実はあっけない。ホントに号泣する。スミちゃんの言う、「許せない」というセリフ。

幾度もの診察でも、臨終の場でも、泣かずに気丈に振る舞っていた母は、禎子がつけていたメモを目の当たりにして、ラスト初めて泣く。

昨今、災害の場等に送られ、「役に立たない」と、度々迷惑がられる千羽鶴。
どんな気持ちでそれが折られたか、まで想像できているだろうか。禎子は1000羽の鶴を折ったそう。病から必ず生還することを信じて、命の限り折られた鶴。
形見として友人達に配られた鶴。
祈り。

1954年時点で12歳
生きていたら、80歳になっていた禎子
当たり前にあった未来が奪われる

自分の国で起きたこと、実際にあったこと、人の想い、恐怖、思いやり、愛情、悲しみ、希望に想いを馳せる
子供達に見て考えてほしい
Melko

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