亘

友だちのうちはどこ?の亘のレビュー・感想・評価

友だちのうちはどこ?(1987年製作の映画)
3.8
【純粋な思い】
イラン西北部コケル村。小学生アハマドは、ある日間違って同級生ネマツァデのノートを持ち帰ってしまう。ネマツァデは次回宿題を忘れたら退学になる。アハマドは友達の退学を防ぐため1人で隣町までノートを届けに行く。

幼いアハマドの視線からある1日を描く作品。内容としては、友達のノートを返しに行くというだけでシンプル。それでもアハマドの視点からじっくり丁寧に描くことでその道のりが冒険に見えるし、シンプルだからこそアハマドを応援したくなると同時に童心を思い出させてくれるような作品。

また印象的なのが本作の大人たちの理不尽さ。子供だからということで見下しているようだし命令しようとする。アハマドの母親はアハマドを信用していないし、アハマドの祖父はしつけとして殴ろうとしている。窓売りの男はアハマドを無視し続ける。大人たちは別々のことを言ってるのに「大人には従え」「先生は正しい」と話す。身勝手な大人たちと対照的にアハマドは純粋に友達のことを考えている。余計にアハマドのひたむきさが強調され応援したくなる。

[冒険まで]
アハマドは小学生。ある日クラスで隣の席に座るネマツァデが先生に怒られるのを見る。ネマツァデは何度もノートに宿題をしてこないのだ。そして先生は次にノートに宿題をしてこなかったら退学にすると告げる。その日アハマドが家に帰って宿題をしようとするとリュックにはノートが2冊入っている。ネマツァデのノートを持ち帰ってしまったのだ。しかし返そうにも親は、「遊びに行くなら宿題してから」と言ってアハマドの話を真に受けない。ついにアハマドは隣町ポシュテに1人で向かうことにする。

[ポシュテへの冒険]
アハマドは1人峠を越えてポシュテへと向かうが、ネマツァデの家を誰も知らない。しかもどの区に住んでいるかもわからない。何とかネマツァデの従兄の住んでいる地域を聞くことができたけど今度はその家が見つからない。ネマツァデのものらしいズボンを見つけたけど別の家だったし、ついにネマツァデの従兄の家を見つけるも父親とコケルに行ったという。そしてアハマドは彼らを追って自分の村コケルへ戻るのだ。

[コケルへの一時帰還]
コケルに戻ってネマツァデの従兄とその父親を探そうにも見失い、その上自分の祖父にタバコを買ってくるように邪魔される。この祖父が古い考え方の人間で、「子供は何か理由を見つけて殴る」「しつけが重要」としてアハマドを振り回すのだ。その場にいた男もアハマドの持つノートから1枚紙をもらおうとする。それにネマツァデの父親らしき人を見つけたかと思いきや声かけても無視されてやむなくその後を走って追うことになってしまう。

[2度目のポシュテ]
ネマツァデの父親らしき人を追ってポシュテに再び向かうも、見失いアハマドは途方に暮れる。近くにいた老人に声をかけても無視されてしまう。それらしい人を見つけても、別人だと分かりさらには「この辺りはみんなネマツァデだ」と言われてしまう。

ここで一番大きな転機は、窓職人のおじいさんの登場。日も暮れてきたころに出会いアハマドをネマツァデの家に連れて行ってくれる。けれどももしかしたらこのおじいさんも完全に優しい人というわけでもないのかもしれない。アハマドが帰るときに結局は送らないし、ほとんどずっと自分の作った窓の自慢をしている。これまでに会った大人たちよりは良い人だけどこの人もまたアハマドを子供だからと下に見ているのかもしれない。

またここで気になるのが、あれほど友達の退学を恐れていたアハマドが結局はネマツァデにノートを渡さなかったこと。もしかしたら一人で他人の家のチャイムを鳴らすのをためらっただけなのかもしれない。個人的にはノートの件を親に知られてネマツァデが親に叱られることを恐れたというのもあるんじゃないかと思う。
とはいえ家に帰ってからアハマドが沈んだ様子なのは渡さなかったことへの後悔や自責もありそう。

[翌朝]
翌朝アハマドの座席は空席、さらには宿題点検が始まっていてネマツァデは泣きそうになっている。だからこそアハマドが登校してネマツァデに語りかけながらノートを渡すシーンには観客もほっとするしほほえましくなる。宿題チェックの時に間違ったノートを先生に渡してしまうのはヒヤッとする場面だけど、本作中の最後のユーモアだろう。だからこそ余計に最後のOKサインにはアハマドと一緒に安心するし嬉しくなる。シンプルでまっすぐゆえに感情移入できて優しい気持ちになれるのだ。

印象に残ったシーン:アハマドがジグザグ道を走るシーン。アハマドがネマツァデにノートを渡すシーン。
亘