アニマル泉

三つ数えろのアニマル泉のレビュー・感想・評価

三つ数えろ(1946年製作の映画)
5.0
何回見てもわからない、しかし毎回その美しさにうっとりしてしまう、厄介な傑作である。この判らなさは鈴木清順の「殺しの烙印」と双璧だと思う。
ホークスは「運動神経」だ。「反射神経」と「スピード」と「的確さ」が要求される。拳銃は構えた瞬間に撃たなければ死ぬ。躊躇は命取りだ。何と言ってもラストが美しい。ボガートが拳銃を抜いてから、三つ数えるこのスピードと無駄のないリズムと唖然となる展開は無類の美しさである。
ホークスは「連携」だ。「リオ・ブラボー」でジョン・ウェインがウォルター・ブレナンの投げるダイナマイトを射撃するように、本作ではボガートとバコールの「連携」が至福である。自動車工場に捕らわれたボギーはバコールに助けられる。「20数えたら悲鳴をあげろ」とバコールに頼んでボギーは外で拳銃を構える。悲鳴に駆けつけたカニーノとバコールがボギーを探して外へ出てくる。ボギーが車の影で待つ。「車の中にいる!」とバコールが叫び、カニーノが車内に拳銃を撃ち込んだその瞬間、ボギーが影から立ち上がりカニーノを射殺する。この流れるような「連携」の美しさにうっとりする。
「車」の映画である。ボギーとバコールが安心できる唯一の場所は自動車の中だ。これはゴダールの作品に受け継がれていく。
「煙草」の映画だ。タイトルバックから二人のシルエットと煙草。劇中で何回も二人は煙草に火を付けあう。煙草はラブシーンだ。火をつける、火をつけて渡す、その関係が艶めかしい。そして「拳銃」の映画であり「酒」の映画である。やたらと酒を飲む。全てが違う酒なのが面白い。
本作は音で事件が展開する。悲鳴、銃声、電話などの音が突然鳴り響いてボギーが動く。ボギーは心理で動かない。事件が起きるか、強いて言えば「勘」で動く。心理の説明はない。全ては具体的で即物的なのだ。全編がボギー目線で描かれる。
本作の判りにくさは人間関係の判りにくさにある。冒頭、スターンウッド将軍の温室で事件を依頼される場面からもうこんがらがる。そして、ややこしい事件の経緯よりも、お約束通り螺旋階段を下りてくるカルメン(マーサ・ヴィッカーズ)の色っぽい登場といきなりのよろめき、そしてバコールの登場とあの艶やかな目にうっとりして、ますます話の筋がどうでもよくなるのだ。細部の豊かさで言えば伝説の書店の場面だろう。突然の大雨で書店で張り込むことになるボギーに興味を示したドロシー・マローンが店を閉めて眼鏡を外して髪を下ろす場面、その美貌に驚くボギーの「Hello」は絶品だ。この「大雨」はガイガーを尾行する場面に続くが、雨と車は実に映画的なのだ。尾行に張り切るタクシーの女性ドライバーがボギーに「昼間は仕事だから電話は夜に頂戴」と口説く場面も粋で忘れ難い。バコールが膝頭を掻く場面、期待通りの歌の場面、これらも素晴らしい。ラストカットはボギーとバコールが視線を同時に屋外に外して、同時に見つめ合う、官能的なショットで終わる。オープニングタイトルバックの二人のシルエットと対をなしているのが心憎い。原作はレイモンド・チャンドラーの「大いなる眠り」、脚本はウィリアム・フォークナーである。邦題の「三つ数えろ」は実に素晴らしい題名だと思う。 
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