亘

オリーブの林をぬけての亘のレビュー・感想・評価

オリーブの林をぬけて(1994年製作の映画)
3.7
【まっすぐな想い】
映画監督モハマドがコケル近郊の町で映画撮影をする。そこで彼は雑用係の現地住民ホセインが震災孤児タヘレに求婚しているのを見る。ホセインは必死に想いを伝えるが、貧乏な彼はタヘレからもその祖母からも相手にされない。そんな中2人は映画の中で共演することになる。

キアロスタミ監督のコケル3部作(ジグザグ道3部作)の3作目。2作目の「そして人生は続く」と非常に密接にかかわった話で、「そして人生~」を別の角度から見た作品といえるかもしれない。また3部作の中でも特にキアロスタミの「虚実の間を描く」スタイルが強い作品。

本作はいきなりフィクションであることを見せられる。監督役の男が、自分が監督役をすると自己紹介するのだ。そこから女優選びが始まり、映画の撮影が始まる。そして描かれるのが「そして人生は続く」で地震直後に結婚した夫婦のシーン。少女タヘレが妻役をするのだが、その夫役は女性と話すことができない。そこで白羽の矢が立ったのが雑用係ホセインだった。しかしホセインとタヘレには因縁があった。

タヘレはルードバール地震で両親を失い現在は祖母と暮らす。そして地震直後に井戸でホセインと出会い目が合ったのだ。ホセインはそれを好意と受け止めてアプローチする。しかしタヘレの祖母から結婚の許可が下りず、それを見てかタヘレ自身も了解しない。というのもホセインは貧しいうえに学もない。しかしその後も何度もタヘレにアプローチしているのだった。そしてそんな必死な彼をモハマドは優しく見守るのだった。

後半にあるとホセインは持論を展開する。
夫婦は1つの家にしか住めない。だから家がある者と家がないものが結婚すればいい。文字が読めない人同士が結婚したら子に文字を教えられない。だから文字が読めない人は文字が読める人と結婚すべき。貧乏者と金持ちが結婚すべき。そうすれば世界は良くなる。
これは富も学もないホセインの妬みのようにも聞こえるけど、格差を嘆いているようにも思う。
そして撮影現場ではタヘレに自分がいい夫になると話す。
自分が働くからタヘレには勉強を続けてほしい。君のためなら嫌いな工事現場でも働く。
これが人生なんだ。僕がお茶を入れたり、君がお茶を入れたり。これが結婚なんだ
監督たちは古い家父長的な考え方を持っているけどホセインは少し先進的なように見える。そしてこの必死さから、彼がすれていなくて、純粋でまっすぐな青年だと分かるのだ。

だからこそラストシーンのロングショットは印象的。オリーブの林を抜けて草原の中ジグザグ道をタヘレを走って追い告白する。その走りに彼の想いが分かるし、その後の結果が気になる。

[虚実の境について]
冒頭でも述べたように本作は虚実の境を描くスタイルが強い作品。①現実世界↔②映画の中の世界↔③映画内で撮影している映画の中の世界の3段階がある。

映画全体でいえば、①現実世界の監督はキアロスタミ監督 ②本作の中での監督はモハマド ③そして本作で撮影されている「そして人生は続く」の主人公も映画監督という3段構造。だからといって「そして人生は続く」はフィクション中のフィクションということかといわれればそうではなく、それ自身キアロスタミ監督自身の経験を描いた作品なのだ。だけど作中ではカチンコに「オリーブの林を抜けて」と書いてあるし、どれが現実なんだかわからなくなる。

そしてホセインとタヘレの関係性も面白い。
②本作の中でホセインは求婚しているが、ホセインとタヘレは結婚していない。③ただ本作内で撮影している映画では2人は夫婦役。 しかも映画の役としてはホセインがタヘレを少しぞんざいに扱うけど実際はホセインは貧乏だしタヘレに結婚を申し込み頭を下げる。

まさにマトリョーシカのように現実とフィクションが重なった複雑な作品で、だからこそ余計にホセインのまっすぐな純粋さが際立つのかもしれない。

印象に残ったシーン:ホセインがタヘレを追って告白するラストシーン。
亘