アー君

「A」のアー君のレビュー・感想・評価

「A」(1998年製作の映画)
3.2
前から気になっていたドキュメンタリーではあったが、クリップをしていただけでタイミングが合わず観ることを保留していたが、Amazonのサブスクで配信をしていることを知り鑑賞する。

95年に起きた事件からもうすぐ30年にもなるとは、リアルタイムで事件を知らずに成人を迎えた世代がいるのは事実であり、時が経つのは本当に早くなったと実感する。

前任の広報担当者である上祐氏から引き継いだ、荒木氏を中心に進行するルポタージュは今までマスコミ側のみの報道だけを鵜呑みしていた私たちにとってはオウム(現アーレフ)側を主軸にした映像から視聴者をニュートラルにこの事件を考察できるのではないだろうか。

事件から2、3年後の記録なので、地域住民とのトラブルや警察からの監視は緊迫感はあり、制作側としてどのような交渉で撮影が可能になったのは知りたいところである。

ドキュメンタリーとしてはオウム視点からの映像を主観的に撮ったことは評価は高い。しかし逮捕トラブルが起きる前にBGMとして音楽が入っていたが、信者と警察との口論が途中からであり、音楽の入れ方に不利な状況を誤魔化すために音楽を入れたように感じており、仮に警察が信者から故意に転ばされた傷害事件にみえても、この編集を兼ねた撮り方に中立性があったのかは疑問が残るシーンであった。(最終的に森側が撮ったビデオを弁護士に委ねて信者は釈放される。)

もちろん荒木広報部長がメインではあるが、欲を言えば松本死刑囚の長女が記者会見で出るくだりは重要だったので、もう少し細かな詳細は知りたかった。

信者の話し方からの印象としては純粋で素直であるが、悪い言い方にすれば騙されやすく、返す言葉には理屈っぽさも兼ね備えている感じであった。犯罪を認めても絶対的に帰依するといいながらも、瞳の動きにはどこか不安も見られた。

この事件後にマインドコントロールおよび洗脳(今回は広義的に同様の意味)に対する問題が取り沙汰されたが、組織がおこなった教義は信者を個室で映像を見せることで、変性意識を限界にまで高めて心理誘導をする方法は狡猾である。

そしてイエスマンだけで固められた閉鎖的な状況下は、教祖自身にも感覚遮断を起こし、皮肉にも逆洗脳を受けることとなる。末端の信者も組織において加害者であるかもしれないが、同時に間接的な被害者でもある複雑な側面を理解して社会復帰に向けた対策を行政はおこなうべきではないだろうか。
アー君

アー君