茶一郎

ハンナとその姉妹の茶一郎のレビュー・感想・評価

ハンナとその姉妹(1986年製作の映画)
4.7
劇中に挿入されるトルストイの言葉は「人生は無意味である。それが人間の到達した究極の結論である」というもの。この結論に至る過程を悲喜劇的に描き、それを「楽観的すぎる」と言っていい程、楽観的に処理する。この映画『ハンナとその姉妹』が救う人生は多いと思う。

 ウディ・アレン版のチェーホフの『三人姉妹』と言う具合に、三人が三人ともそれぞれ困難と苦悩の人生を送る三人姉妹。今作は、この三人の恋愛模様とウディ・アレン扮するハンナの元夫ミッキーの「神様探し」とを描く群像劇に発展する。
 とても愉快なのは、人生に絶望するミッキーがこの世に「神」を見つけ人生に意味を見出そうとする実存主義的コメディと、男が愛を求める様子、そして姉妹の一人が女優としての才能を認めてもらうためにオーディションを受け続ける様子、これら全てを並列する語り口。ミッキーは、ユダヤ教からカトリック……と宗教を転々とするも中々「神」は見つからない、同様に「愛」を求め続けても得られないし、オーディションにも落ち続ける。まるで「神」も「愛」も「世間に認められたいという欲」も全て等しくこの世に存在せず、それらを求める者は愚かだ、と言っているように見える。
 そうして、その愚かな登場人物たちが迎える「絶望の淵」。世界に神がいないのであればこの世に意味はなく絶望しかないと思ったミッキーは冒頭の「究極の結論」に達し、また絶望する。しかし、ここで今作はあることをきっかけに一転、この結論の先を見せた。ミッキーを「絶望の淵」から抜きださせたのは、「自分を笑う」という行為である。「こんな絶望的状況、笑ってしまうね」と自分を笑う。まさに、劇中、スクリーンに映るグルーチョ・マルクス主演の『吾輩はカモである』は戦争という絶望的状況を笑うコメディだったが、今作はコメディ作家ウディ・アレン自身によるコメディの存在肯定をするコメディ映画であった。

 自分を笑って見て気付く結論。「神はいなくても、人は生きて死ぬだけだ」これはウディ・アレン作品に一貫する人生論だが、この結論が全ての人生の無意味さを決定するとともに全ての人が存在する意味を決定する。「(どうせ意味のない人生なら)暗い人生を送ることもやめて、ないものねだりの答えを求めるのもやめて、寿命まで楽しもう」この映画が救う人生は多いと思う。
茶一郎

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