しゃび

ファニーゲームのしゃびのレビュー・感想・評価

ファニーゲーム(1997年製作の映画)
2.0
「虚構は現実だ。映画の中ではそうだろ。」
「見える世界と同じく虚構は現実さ。」

非常に本質的だ。

映画という虚構の現実性。
現実世界の虚構性。

人は現実世界を現実のままに見ることはできない。必ず「イメージ」というフィルターを通して見る。そのような意味で、現実世界は虚構だ。

一方で映画は「見えない現実世界」の一部を浮き彫りにする。そのような意味で虚構世界は現実だ。

逆さまな本質である。

「ファニーゲーム」は虚構の現実性、現実の虚構性を浮き彫りにすることにチャレンジした映画だ。


ただ、ぼくはチャレンジに成功していないと感じた。

たしかに、この映画はなまなましい。
ゆっくりとした時間経過、ものと化した人。

ただ、長回しによる時間経過の自然さも、
負傷し、縛られて物質的になった人間も、全ては演出されたものだ。


映画を現実らしく映そうとした結果、あくまで現実っぽい虚構は出来上がったが、
イメージに邪魔されない現実を姿を浮き彫りにすることからは、むしろ遠ざかってしまった。

『ファニーゲーム』は悪趣味な映画ではなく、悪趣味に見える映画でもなく、ただ失敗したがために悪趣味になってしまった映画だと思う。


ただ、
あの太った男がみせる虚さは、『ドライブ・マイ・カー』で堀口監督が映した造形性をほんの少し覗かせていたように見えた。

その一点においては、成功の一端が見える映画だとも思う。
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