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十二人の怒れる男のぜんのレビュー・感想・評価

十二人の怒れる男(1957年製作の映画)
4.8
【真実は偏見というフィルターを取り除くことで見えてくる】

1959年公開。
白黒作品。
Filmarksがないと恐らく
観ることがなかったであろう。

日本でも2009年から始まった
「裁判員制度」
(正確には戦前には戦前に
「陪審制度」があった)
について今一度考えるきっかけに
なる作品なので、大人はもちろん
これから社会に出ていく学生にも
おススメの作品です。

*あらすじ*
事件の内容は
「父親を殺害したか?」
という第一級殺人罪で死刑に問われた少年が有罪か無罪か判決を下すというもの。

この事件について12人の陪審員が評決を下すために一室で話し合いを行う。
方法は自由だが評決は「全員一致」でなければならない。
事件の表面的な部分だけみたら有罪にみえる。
しかし、「陪審員8番」だけは無罪だと主張した。

無罪という確証はない。
一方で有罪という確証もない。

最初は冷ややかな目で見ていた残りの11人。
しだいに疑問や矛盾に気づき風向きが変わっていく。

*総評*
まず思ったのが
陪審員8番。
この人物がいなければ。
事件の真実について何も議論がされないまま無罪の少年が死刑になっていたかもしれないということだ。
本作では、真犯人について言及されていないため、確実には無罪だとは言い切れないが。
私たちは物事の表面だけを見て、それが真実であると思い込んでいないだろうか。
物事に対してそのまま受け取るのではなく、疑問を持ち、事実を捉えることの重要さを感じた。

無差別で選ばれ、評決を求められる。
判決には責任は問われない。
ある人は早く帰りたいと思い、
ある人は大多数の意見だからと
思考せずに正しいと思う。
だが直接的に自分とは関係ないとはいえ、
人一人の人生がかかった判決なのに、
固定観念だけで決めて後々事実と違っていても、取り返しがつかないのだ。

「疑わしきは罰せず」
という言葉があるが主人公が
疑問や矛盾を検証により明らかに
していく。
裁判員制度で1年間で裁判員に選ばれる確率は、ホールインワンと同じくらいとも
言われている。
だからといって一生のうち自分がならないとも限らない。
歳を取るにつれて自分の価値観が固まってきて、経験から判断を下してしまうことがある。
だからこそ意識的に物事に疑問を持ち、
事実を考えるようにしていきたいと思った。


「偏見は真実を曇らせる」
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