まりぃくりすてぃ

ワンダーウォールのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

ワンダーウォール(1968年製作の映画)
4.0
ほんの子供だった私がお小遣いをはたいて3800円で人生初購入した映画ソフトがこれのVHSだ。(その数年後には『赤い運動靴と金魚』のVHSに16000円もかけることになる。へへ、昔さ。)
一度観たきり実家に置きっぱしてたこれを、最近約二十年ぶりにビデオ対応機で再鑑賞。調べてみたら、まさかのYouTubeでも視聴できるようになってて(←ただし、字幕なし)、さらにハマってみたぞ。

古いキレイと新しいキレイに差なんてない、インスタ映え以上カラフル超えのジェーン・バーキン出演パート(ちょこちょこ彼女が出てくるけど各短い短い)は2020年eyeで観ても全部モテ! おブスなおじさん科学者パート(退屈なぐらいたっぷりあるよ)はアリ認定易しくないかも。訴求力に重きおいてバーキンも主演(初主演)扱いされてるけど、登場比率的には9対1ぐらいになっちゃってるんであるジャック・マッゴーランの単独主演作だね、事実上。バーキンは台詞が一言もないし。
ともあれ、純白クルーネックにデニムを爽やかにまとい、女子ならばカゴバッグなんかをシャレで脇に置いて清潔な部屋で、バーキンちゃんの蝶々な歌声(またはゴア・トラ)を先に一つぐらい聴いてから、多少酔っぱらって観なきゃね。

…………コリンズ教授は頑固一徹な独身の老科学者。くる日もくる日も顕微鏡ばかり覗き込み、部下たちとの挨拶なんかいい加減。ある日、自宅アパートの隣室との壁に、衝動的に目覚まし時計をぶつけてしまった。反対側の壁に、影絵のように映った美しい女性のシルエット。光源である壁穴に気づいて覗き込むと、極彩色の不思議な部屋に悩ましく棲む人魚のような若い超美女が一人! 教授は連日、彼女の生活を覗き見るようになる。壁穴をドリルで広げてまでも。しかし、有名雑誌のモデルである彼女には若いイケメンの写真家の彼氏がいるってことがすぐわかった。嫉妬に苦しむ教授は、研究室通いをすっかりサボって隣室覗きにヘンタイとして没頭するうち、写真家との決闘(敗北)の夢まで見る。その男が、氷や角砂糖を求めて何度か教授のところを訪ねてくる。話してみると、二股三股の彼は、彼女と別れたがってるそうな。そして二人は破局。チャンスとばかりに教授は、屋上から外壁伝いに彼女の室へ侵入。ところが、そこに眠っている絶望の彼女は、、、、、、、、、、

❶1967年作品だけど、今の世界を予言
❷ジェーン・バーキンの自己解放きっかけ作
❸ “クワイエット・ビートル” の音楽最高
❹ザ・フーならどんな音楽をつけたかな?
❺ジョージとオアシスの喧嘩の真相


①予言性について
英国ふくめてコロナにあたふたの私たち。ウイルス(具体)と戦ってんのか数字(抽象)と戦ってんのかわからなくなっちゃってる2020年のサピエンス(認知革命の弊害が時々著しかったりする←ノア・ハラリ)、をささやかに励ましてくれるのが本作のコリンズ教授の研究室。終盤には「新種の菌だ。感染力が強いぞ」のシャキシャキした嘘も飛び出すよ。ステイホーム(そろそろ死語?)にフィットする映画。
顕微鏡で細菌を覗き込むオープニングが、顕微鏡で宇宙を覗き込むラストへ。(五次元理論のリサ・ランドールも納得?の)21世紀常識の先駆けとなるまとめ方。

②過渡期のバーキン
この物語の中でバーキンは「一度死んで、生き直しをスタート」。
容姿コンプとかあって羽ばたききれなかった英国時代の彼女は、本作撮影当時20才。最初の結婚相手とのあいだの子を産んだ後の、愛の破綻に傷ついてた頃。翌年に渡仏してセルジュ・ゲンズブールと出会い、そこからあらゆる自信と運気を得ていったそうだから、ちょうど日陰から日向への峠道がコレだね。スウィンギングロンドン好きも、パリジェンヌバーキン推しも、「英語も仏語もどっちも喋んない」彼女の役回りの意味深長さを堪能しよう!
あまり裸体はさらさない。腰~脚だけはたっぷり。それがドール肌じゃなくこんがりウインナー肌(20才にして子持ちって感じ?)で、その後の人生通じての彼女の「自然体」を何だかとっても示唆してるみたい。
それにしても、マッドサイエンティストぎみ風貌のコリンズ役マッゴーランさんのダサさを(退屈生活者としても)強調するパートがぶ厚いもんだから、時々彼に穴ごしに覗かれる隣室バーキンパートが約束度100な映えをくれることを楽しみつつも、イライラする。セリフの総数が少なめで、肝心なところで一気に寡黙になったりもするので、単純なストーリーなわりには展開と主題性が秘密臭い。つまりは、プチ難解。ひょっとして、脚色や配役や演出の落ち度としてのダサさ退屈さ秘密臭さじゃなく確信犯的なメリハリづけなんじゃないか、と信頼もしたくなる。要は、焦らされて焦らされてやっとステキなバーキンを見せられて、でもすぐまたバーキンが隠れちゃって、ずっとずっと待たされて、ようやくようやく次のバーキン。。の繰り返しを、凡作性とみるか、一級娯楽とみるかで、全体像への評価が変わってくるね。私は、展開面は肯定派だけど、ただ、マッゴーランさんがもしももうちょっとイケメン男優にチェンジしてたら満足度上がったはずだよな~と想ったりもする。
いずれにしても、序盤の、髪をどうかするバーキン、まるで人形と抱き合ってるみたいに始まる美女同士の絡み合い、後半のどんどんVOGUE的にオシャレの強度が増していく中での彼女の両腕いっぱいの手招き、階段からの振り返りあたりで映えがmax! 本作のバーキンパートだけをつないでオシャレ系映像の世界一をこしらえちゃいたい、っていう人もいるだろうね。
ところで、地味コミカル&常識的サイケデリアの本作を、B級っぽという人もいるかもだけど、基本、隅から隅までA級な中、夢の中の風景だけを夢表現として安っぽくしてみせてる。そこんとこのハリボテに不満があってもなくても、巨大スティック口紅で殺されるシーンはVOGUE感の範囲内だ!

③ザ・ビートルズ!
バーキンの役名は「ペニーレイン」。まさにその1967年のザ・ビートルズはペニーレインの録音(1月4日)で幕開けた。
途中で教授は林檎を買い込み、かじる。ビートルズがアップル社を創立するのは翌68年春。アップルのめまぐるしい興亡などを思うと、林檎に意味のいろいろを投影したくもなる。
後半で教授が「音楽なんて雑音だ!」と啖呵を切る。ビートルズがほかのロック同様、初期の頃に社会から雑音騒音扱いされてたことも思い出させる。
途中、「フリー・アズ・ア・……」という台詞が出てくる。
終盤、「ヘルプ! ……ヘルプ!」のシャウト的台詞。
で、この映画は、サージェントペパーズ&マジカルミステリーツアー(67年)とインド瞑想旅行&ホワイトアルバム(68年)の間に作られた。そういう時期のジョージ・ハリスンが音楽を担当したことは、最大の売りになってる。“主演バーキン” 以上に。ラーガロック(インド伝統音楽と西洋ロックの融合)の草分けそしてヒッピーたちの精神的カリスマという強烈な個性をバンド内で既に確立はしてたものの第三の男扱いに甘んじてたジョージが、While My Guitar Gently Weeps でようやくバンド内の作曲家として少し認められ始める前の、“最後の下積み時代”(と一般的には云われてる)。
ここで、本作を観た世界中のすべての人に考えてほしいなと思うことが私にはある。これの音楽を全部創ったジョージが、当時わずか24才だったという事実!!! 天才じゃん!!! こんなことほかにできないよ、普通。よく「ビートルズには二人の天才(ジョンとポール)がいた。あとの二人(ジョージとリンゴ)は凡才または脇役だった」と失礼な変な発言する人いるけど、べつにジョンやポールと比べるとか比べないとか同一バンドにいたとか全然関係なく、一ミュージシャンとして、この『ワンダーウォール』の音楽を創りきったのは大才能ゆえでしょ!!!
彼は、適当に録音してあとは監督や編集者に任せたとかじゃないよ。映像を見ながらストップウォッチをカチカチさせて、この場面にはこんなフレーズ、あの場面には……と事細かに口ずさんでいって、そのデモテープを採譜者の協力でインド人の奏者たちに伝え、ラーガの即興性との調和も図りつつ、映画に最も適したサイケデリアとしてボンベイにて完成させた。プロデューサーとして完璧に。しつこく書くけど、わずか24才でだよ。
ジョージはシタール以外のインド楽器(タブラ、タンブーラ、サロード、パカヴァジ、シャナイ、サントゥール等)は扱えないし、シタールもそれ専用の奏者を招いてるから、実際にジョージの演奏曲はわずかだけどね。
そのほかに、ロンドンのスタジオでは、ロックインストゥルメンタルバンドに指示を出して、ジョージ本人は時々シタールやピアノを弾く程度で、主にやっはりプロデューサー兼作曲者として無から一曲一曲をこね上げていった。
巷では「エリック・クラプトンとリンゴ・スターも参加!」と宣伝されたりしてるけど、その二人が加わったのは一曲だけ。(彼女の恋人役がスキーをするシーンの。)ただし、エリックとジョージが生涯初めてこの曲で共演した1968年1月5日を、ロック史に残る重要な日付としたい。ここでの顔合わせがなければ While My……の客演はありえなかった。合掌。
さて、本作のサントラがアップル社から初のレコードとして(そしてビートルズメンバーによる初のソロアルバムとして)『Wonderwall(邦題/不思議の壁)』のタイトルで出た。ナカナカ以上のすばらしいアルバムなんだけど、じつは、映画の挿入曲が全網羅されてるわけじゃないよ。少なくともロンドン録音曲二つほどとインド曲一つがアルバムに入ってない。
それはそうと、じつにじつに印象的なロンドン曲は、 On The Bed(ンパカンパカンパカー、ターラララー♬って感じの華やかなやつ。クライマックス近くで使われてる )と Wonderwall To Be Here(序盤と終盤でバーキンを覗くところのドラマティックでロマンティックな曲調の) と Drilling A Home(壁や天井を壊すところの軽快なやつ) だね。

④ザ・フー
本作の音楽は、元々はビージーズに依頼するはずだったという説もあるが、当時から爽やか系しか歌ってなかったビージーズは全然映像に合ってない。67年夏に死ぬブライアン・エプスタインのつてで最初だけプッシュされかけてたっていうところだと私は思う。
むしろ、ザ・フーに依頼したがピート・タウンゼントに断られた、という説が信憑性高い。売り上げ低迷からの現状打破欲とかサイケデリアへの順応心とかが入り交じってた大事な時期のフーが、もしもジョージじゃなく係わっていたならば! いったいどんな音楽をつけてただろう!? そりゃ、インド音楽なんかできないピートだから、シンセサイザーとオルガンをこってり使ってたことでしょうね。そして正直、この物語には、キースとジョンのドラムとベースは、フィットしそうにない。。。 (ウエスタン調の挿入曲 Cowboy Music の一節が、フーの66年作の A Quick One While He's Away のノンビリ音頭部分に似てる、という発見はあり!)
とにかく、結果論において、本作のジョージ・ハリスンのシゴトぶりは、仮に「天才」というシンプル語を(未だ Something を創ってない段階では)当てたくない面々がいるのを認めるとしても、少なくとも「トップクラスの職人さん!」であることは確定です。
そして、「これほど優れた音楽作品をプロデューサーとして創り上げたジョージ」が、もはや「専制的なポールの指図にいつもいつも従ってバンド内で小さくなってる」ことも「内から湧いて湧いて仕方ないメロディーやサウンドに蓋する」こともムリなのだと、はっきりわかるんですね。「ただの、チェットアトキンス奏法が得意で裏のリズムの取り方がバツグンに上手いだけ」の女子ウケ担当の第三の男なんていう地位にとどまる気持ちなんてなく、「ラーガロック(思想的にも)の立役者~ワンダーウォールのプロデューサー~いよいよ名曲いっぱい創れるボク」という67年(24才)から68年(25才)にかけての「自我確立!」の歴史的資料としてのこの映画は、ある意味、大変に重要なんです。
そして、、、

⑤オアシスとの大喧嘩の新解釈
ギャラガー兄弟のオアシスが90年代に出現し、瞬くまに「ザ・ビートルズの正式後継者」「ビートルズを超えた」という評価を世界中から得た。私は幼稚園時代に洋楽(バーシアとかマライヤ・キャリーとか)になじみ始めて、邦洋いろいろ吸収しつづける中で、オアシスも当然のように聴いてた。流行り物に触れてるという安心感と当たり前のハイクォリティー感があったから、最初のうちはビートルズとオアシスを同時並行的にどんどん愛好していく気持ちが普通にあった。
が、そのうちに、オアシスはダメだとわかっちゃった。超えてるかどうかなんて段階じゃないよ、お話にならない。オアシスが90点ならビートルズは10000000点だ。
趣味は人それぞれだから、それでもオアシスが大好き、オアシスは優れたバンドだって言いつづける人を私は責める気ない。ただし、オアシスとビートルズを比較してどうのこうのとオアシスの肩を持つ人には「あなた、ロックもビートルズも音楽も、まるでわかってないね?」と哀れんでしまう。
そ・し・て、大事件が起こった。既に小学生時代からジョージが一番好きと思ってた私に、飛び込んできたニュース。「ジョージ・ハリスンとリアム・ギャラガーが中傷合戦!」
まあ、ぶっちゃけ、当時は両方好きだったから、悲しくなったりもした。
結論的にまとめちゃえば、完全な経緯はこう(なのだと私は今思う)。
1967年5月 ノエル・ギャラガー誕生
67年末~68年初頭 映画『ワンダーウォール』制作
68年5月 カンヌ映画祭で上映
69年1月 英国でプレミア上映
以後、一般上映されず、低画質のビデオ類か米国の深夜番組枠でしか視聴できない状態が続く。サントラ盤のみ、ジョージの秀作ソロアルバムとして世界中で愛聴される
72年 リアム・ギャラガー誕生
94年 オアシスが本格デビュー
95年 オアシスが2ndアルバムで世界制覇
96年 そこからのシングルカット曲 Wonderwall が大ヒット。これは、ジョージが堂々と音楽担当した映画 Wonderwall にインスパイアされた曲である、とギャラガー兄弟が説明。のちに同曲はオアシスの代表曲とまで評価される。そしてまた、オアシスが売上面では既にビートルズを抜いたことで、オアシスとビートルズを比較する論があちこちで張られる。
そんな折り、ジョージがユーロプレスの記者に「オアシスには興味がない。オアシスはクズのリアムをクビにしたほうがいい」と語る。リアムは激怒する
97年 ジョージが再び「オアシスには大した創造性がない。僕らビートルズがやっていたことははるかに凄かった。オアシスは将来は忘れ去られるだろうね」とインタビューで語った。リアムは再び激怒し、以後、何度もジョージを陰で罵倒
98年 世界中でこの映画 Wonderwall がVHS等で再発売

さてさて、私は、オアシスはあまり魅力的なメロディーを書けず、リアムのヴォーカルに至っては、単にジョン・レノンと声質が似てるだけで歌唱表現的にはカラオケレベル(ちょっとカラオケが巧くてイケメンってだけ)だと今では思ってる。当然、ジョンの凄味を一番近くで感じてすごしたジョージにとっては、特にリアムがジョンの歌真似して低モラルな破天荒ぶりを繰り返してることに対し、「アホじゃねえの?」と常々思ってたことだろう。
繰り返すが、オアシスには大していい曲がない。日本で現在一番親しまれてる Whatever は、ニール・イネスからの盗作ってことらしいけど、私に云わせれば、ポール・マッカートニーのソロ最高傑作 Back Seat の盗作なんだよ。70年代の曲だよ。ジョージもポールもそういうことちゃんと気づいてたはず。だからポールだってジョージに同調してオアシス批判をしたんだ。
で、オアシスの一番マシな曲って何? それが、 Wonderwall 。ジョージがあれだけ創造的なシゴトをしてのけたあの映画からの、インスパイア曲。当然、敬意があってのこと。それはいい。すばらしい。しかし、あの67年にジョージがやり抜いたサントラの大シゴトのクォリティーを思えば、「オアシス程度が、何?」って当然ジョージだって鼻でわらうよね。繰り返すけど、リアムがやってることは単なるジョンの声真似だから。
そういうわけで、ジョージとリアムのあの時の(世間をけっこう騒がせた)罵り合いは、今思うと、99対1でジョージの勝ちなんだよ。一所懸命やってる若い者にわざわざ批判を向けてちょっとジョージも大人げなかった? そこはジョージファンの私としても淋しいところだったけどね、確かに。
でも、私は声を大にして云いたい。今なおオアシスを(好きとかはべつにかまわないけど)ビートルズとの比較において褒めたたえる人たちへ。あなたたち、いい加減、オアシス詐欺から目覚めなさい。騙されるな! ジョージのラストアルバムの題は『洗脳』。「洗脳されないように」と命の最後のエネルギーでそう訴えてた。
オアシスをビートルズの正当な後継者だなんて褒める人は、試しに、米国のバンドだけども93年にREDD KROSSが出した大傑作アルバム『Phaseshifter』の中のMonolith でも聴いてみなよ! オアシスが持たない真の創造性が、ビートルズテイストに自身埋もれずに気を吐いてるのがよくわかるから。本当にロックとは、本当のアートとは、こういう強度のものを云うんだ。ついでに、Only A Girl や Pay For Love もね。そのほか、同じ頃ならJELLYFISHの90年の曲 She Still Loves Him にビックリしてね! それも米国なんだけどね。英国にこだわるんだったら、96年のクーラシェイカーだ。デビューアルバム『K』のSleeping JivaからTattva のラーガロックメドレーだ。今並べた三大バンドがジョン、ポール、ジョージの各テイストを90年代コンテンポラリーでやった感じ、すっごくドキドキさせる。
ほんと、ほんのガキだったくせに私ってば、耳が異常に肥えちゃって、オアシス詐欺からは短期間のうちに抜けれたよ!
でも、オアシスの Wonderwall もまあまあ好きだよ。。。。。


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