秋日和

恋文の秋日和のレビュー・感想・評価

恋文(1985年製作の映画)
5.0
鏡を使った映画って、この世に一体何本あるのだろうかと、この映画を観て思った。「技巧的」なショットを作り出すことの出来る装置として昔から数多くの監督に好まれてきた鏡。それは時にサスペンスに加担し、時に自分自身と向き合わせる為に設置される。
この映画にも、鏡を用いたショットが存在する。けれどその内、およそ「技巧的」と言えるのは高橋惠子の病室をショーケンと倍賞美津子が訪れたときくらいではないだろうか。それ以外のショットで「技巧的」な鏡の使い方を、神代は多分していない。
女たちは度々鏡の前に立つ。倍賞美津子が口紅を塗る様子は印象的に捉えられているし、病院の屋上のシーンで車椅子に乗った高橋惠子はわざわざコンパクトを覗いてみせる(結婚式の前、ウエディングドレスを着た彼女が鏡の前に座っていたことを追加したっていいかもしれない)。まるで鏡を見ることが彼女たちの使命であるかのようだ。勿論そんな訳はないのだけれど、だったらどうしてそのような鏡の連鎖を見せたのだろう?
思うに、それは極々単純な理由からなのではないだろうか。つまりショーケンという一人の男に、女たちは少しでも綺麗な自分を見てもらいたかった。ただそれだけなんじゃないかな。自分の顔の状態をチェックする為に女性が鏡を見るのって、あまりにも当たり前な行為だ。あまりにも当たり前すぎるけれど、「昔は美人だったけど今は違う」とこぼす倍賞美津子の台詞が、なんだか自分をそんな気持ちにさせてくれた。

この映画の魅力は勿論、鏡だけじゃない。ショーケンと倍賞美津子を同一フレームに収めない、二人の関係を反映させたかのようなカット割りや繰り返される廊下のショットは忘れ難く、扉や窓を用いた演出は文句のつけようもないくらい素晴らしかった。それに、気丈に振る舞っているように見えて実は繊細な倍賞美津子の悲しみの表情を髪で隠してあげる為に吹いたかのような風のことも書いておきたいし、波やハーモニカの音色のことだって……。いや、でもこの作品で一番良かった部分って、もの凄く言語化しにくいのかもしれない。ぐるぐると渦巻くどうしようもない感情の中心に潜んでいる、この感じ。もしかしたら、映画という言語でしか表現できないかもしれないな。とても切実。