Ricola

子猫をお願いのRicolaのレビュー・感想・評価

子猫をお願い(2001年製作の映画)
3.7
現代社会の荒波に呑まれながらも、なんとか前を向いて力強く生きていこうとする女性たち。
高校時代は社会の厳しさを目の当たりにする必要はなかったのに、急に放り出されて必死に生きなければならない。

高校時代の仲良し5人組にもその変化は容赦なく襲ってきて、彼女たちも順応しようとついていこうとするものの、そううまくはいかない。
生い立ちや環境、そして学歴で判断されることで、彼女たちは余計に生きづらくなっている。


テヒはお父さんのお店の手伝いをしてチラシ配りをするも、行き交う人たちは興味がなさそうで落ちたチラシを踏みつけていく。
ジヨンは祖父母とともに暮らしているけれど、暮らしぶりが良くなく、常に不安を抱えながら生きている。
双子のピリュとオンジョは露天商をしてその日暮らしである。

ヘジュはこの中で唯一定職についているが、だからこそ学歴社会の厳しさをいつも目の当たりにしている。
お茶くみとコピーとりばかりで会社で居場所を感じられない。
職場のストレスというだけでなく、彼女の上昇志向とプライドの高さがさらに彼女に不満をもたらす。
そのストレスや価値観の変化が、親友たちの仲にも影響が及んでくるのだ。

どんなにもがいても社会が彼女たちの力どころか存在さえ認めてくれない。
ジヨンは窓の外を見つめることが多い。外の世界へ飛び出したい気持ちが表されているようである。自分の部屋の小さな窓からも外を見ることで、彼女の願望が特に表されている気がした。

携帯電話を利用した演出は、当時の若者たちの心情を晒し出すのにぴったりなのだろう。
それは着メロとメール画面で表される。
テヒが皆に収集をかけるために連絡すると、それぞれの電話の着メロが鳴る。
またジヨンはラジオやCDの代わりに、着メロを流す。チム・チム・チェリーを流してティティを抱えるのだ。

身体が不自由な人の代筆をタイプライターで行うバイトをしているテヒの作業する机のサイドに文字が浮かび上がる。
他にもメールの文面が、フォントや画質そのまま現実の世界に溶け込むように現れるのだ。例えばバスの中の座席の上の部分や、夜の繁華街のネオン看板のように、ビルの壁に流れるようにメールの文章が出現するのだ。

タイトルにある通り、猫のティティが次々に彼女たちの手に渡ることで、それぞれの性格が描き分けられる。
双子のピリュとオンジョなんて、テレビで猫の話題(それも決してポジティブではない)を観ていると、ちょうどティティを譲り受けることになるのだ。
彼女たちの明るさと素直さが、コメディタッチで描かれている。
猫に対する接し方で、他のメンバーの性格もよくわかる。
テヒには責任感の強さを感じるし、ジヨンは愛情を注いで育てるし、ヘジュはかなりさっぱりしている。

社会の隅に追いやられても、とりあえず生きるしかない。
女子の友人同士のよくあるような諍いも、この場合社会問題が根底にある。
それでもそれぞれが前を向いて自分らしく堂々と生きていくために奮闘し、成長していく姿に私も背中を押してもらえた。
Ricola

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