衝動が抑えきれない。それは体の内側から湧き上がってくるものであって、頭ではわかっていても止められない。もはやそれは病気なのである。
勢いよく走る機関車が冒頭長く映し出される。機関車の駆け抜ける音にハッとする機関士のジャック。スピードを上げたら急停車することのできない機関車のように、ジャックの衝動も止められないのだ。
ルノワール作品では水の存在が欠かせないと思っているが、この作品でもそれは例外ではない。
土砂降りの雨の中、小屋で雨宿りをするジャックとセヴリーヌはふたりきりになる。2人の様子ではなく外の雨の降る様子が映し出される。どんどん降り注ぐ雨に、バケツの水は溢れていく。雨が止むと、水たまりがところどころにできているのがわかる。この2人に何があったのか、はっきりわからなくてもなんとなく察することはできる。
ジャックは落ちていた鉄パイプを拾う。水たまりには彼の拾う動きがはっきり映し出される。そして恋に落ちた2人の目元だけに光が差し込む。彼らの哀しみがうまく投影されている。
先端がいつ落ちてもおかしくないほど伸び切った、吸うところがほとんど残っていないタバコを口にしているジャックと、まだ火もついていないタバコを口にして話を聞く同僚。それぞれの精神状態が反映されているのは言うまでもないだろう。
普段は善良な市民であっても、いつもの顔からは想像のつかないほどの獣のような側面を持つ人間はたくさんいる。皆何かしら裏の顔は持ち合わせているものだろう。