ニトー

サムライのニトーのレビュー・感想・評価

サムライ(1967年製作の映画)
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 暗い部屋とクレジットからの「武士道」引用(ちょっと調べたら新渡戸稲造は関係なくメルヴィルの創作らしいので「民明書房」のようなものとして受け取りましょう)。この物言わぬ静かさでもって必要なことだけを端的に伝える絵ヅラ。初っ端からエッヂがきいている。それから10分くらいは音声としての言葉は一切ない。ともかく静かな映画だ。そのあとにドラマの「隣の家族は青く見える」を見るとすごい。体感温度ならぬ体幹説明度が。ていうか、このドラマはほとんど教習所の映像といっても過言ではないくらい教育テレビ的なものなので、それを割り切ってマツケンを楽しめばいいのです(世間的には深キョンかな)。

「サムライ」はともかく静かで、説明を排し黙々と行動に移す人物を描いている。乾いているのに湿っているというのがなんとも北野映画っぽいわけですが、北野映画以外にもいろんな作品が影響を受けたというのはよくわかる。だってこれ、単純にかっこいいんだもの。あと歩いているシーンの別にそこいらないでしょ、っていうのとかは北野映画がまんまやっている。つっても、こっちは人物がカメラに収まっている間だけなのに対して北野映画は1秒ほど空間だけを撮ったりもしているんだけど。

あと最初の銃撃のシーンのカットの切り替えしで見せる「実はアラン・ドロンが先に撃っていた」というのもかっちょいい。アランドロンのすっとぼけた目もいいんですよねぇ。

沈黙は金、雄弁は銀という諺がありますが、サムライはそれを映画そのもので体現しているんじゃないかと。
しかも延々と行動(動作と言っても過言じゃないかも)だけを見せる。だからほとんど間の「ようなもの」ばかりが尺を取っているんだけれど、それがまた気持ちいいというか。北野映画はそれをギャグで切って繋ぐのでテンポアップしてるんじゃないかなーと思ったり。

それほどに、人物は必要なこと以外は喋らず黙々と動く。アラン・ドロンの不言実行な振る舞いは老若男女問わず惚れてまうヤローなんですが、彼にかかわる二人の女性メルヴィルとヴァレリーもすごくクール。クールなんだけど、その関係性が非常に叙情的で切なくもある。関係性萌えというやつがありますが、関係性燃えならぬ関係性泣き。ロミオとジュリエットほどみたいに露骨じゃないのがまた卑近で(といってもあくまで比較的ですが)切ない。

決着をつけるという言葉の意味も「お前かっこつけすぎだろー(号泣)」と内心でツッコミをいれつつ収まるところに収まってしまった因果応報感というか。
この映画を中二病真っ盛りのときに見たら色々とこじらせそう。
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