LalaーMukuーMerry

サラの鍵のLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

サラの鍵(2010年製作の映画)
4.4
この作品を見る前に、「ヴェロドローム・ディヴェール事件」(略してヴェロディヴ)について知識があった方が良いでしょう(私もこの作品で初めて知ったのですが・・・)。
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~ヴェロディヴ~
ナチスドイツがフランスを占領し、ユダヤ人絶滅計画をフランスに実行させようとしたとき、傀儡のヴィシー政権が圧力に屈して、1942年7月16~17日、パリのユダヤ人たちを大量に捕らえた事件。約13,000人(そのうち約4100人は子供)のユダヤ人が警察に捕らえられ、競輪場ヴェロドローム・ディヴェールに一時的に収容され、その後アウシュビッツ等の絶滅収容所に送られた。
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自国の黒歴史はどこの国でも伏せておきたいもの。フランスがこの事件を公式に認めたのは1995年、シラク大統領の時だった。フランスのほとんどの若者はこの事件も、ホロコーストにフランス人が加担した過去があることも教わっていない。だからこそこの映画には意義がある。
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私の名はジュリア・テザック、アメリカ生まれ、フランス人の夫と結婚してパリで暮らしているジャーナリスト。今度、夫の育ったパリ、マレ地区サントンジュ通りの家に引っ越すことになった。マレ地区は昔ユダヤ人居住区だったところだ。私は気になって新しい家の住所、36番3階の歴史を調べてみた・・・
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ヴェロディヴ事件の直前までこの家はユダヤ人のスタジンスキー家の住まいだった。その子供たち、サラとミシェルの写真が見つかった。ヴェロディヴ事件で捕らえられたユダヤ人名簿には夫妻とサラの名はあったが、ミシェルの名はなかった。アウシュビッツの名簿には夫妻の名前はあったが、サラの名はなかった。サラとミシェルは逃げたのだろうか? このことを夫は知っているのだろうか? 彼に話しても良いのだろうか?
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義父エドアルドに、昔の話を聞いてみた。義父が子供の頃1942年8月、テザック一家はこの家に引っ越してきた。引っ越して間もなく起きたある事件のことを彼はよく覚えていた。少年の格好をした見知らぬ少女が、もの凄い形相で部屋に入って来た。彼女は、鍵がなくて閉じたままだった納戸の鍵をなぜか持っていて、急いで納戸を開けたのだ。

そこにあったのは幼い少年の・・・。泣き叫ぶ少女・・・

ユダヤ人一家が捕まった時、サラは幼い弟をかばって納戸に隠して鍵をかけ、必ず戻ってくるからと約束していたのだ。
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サラは里親(デュフォール夫妻)に引き取られて育てられ、何事もなかったかのように年月は流れた。祖母は事件の時家にいなかったから、祖父が亡くなった今では事件を知っているのはテザック家でも義父だけだ。私はサラのその後が気になって、彼女の人生の足取りを探りたくなった・・・
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パリの一角の一つの住まいを通して、ヴェロディヴ事件でつながっていたサラとテザック家の物語。少女サラの物語と、ジュリアの取材が並行して進み、とても惹きつけられました。
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成長して里親の元を去り、アメリカで家庭をもち、ユダヤ人であることを捨てて生きたサラ。自分の過去を子には伝えようとしなかったサラ。その息子への取材・・・ 取材という行為の残酷さ。それでも真実を知ること、歴史を忘れないことの方が大切なのではないかというメッセージ。ラストのシーンには涙しました。