タキ

デッドマン・ウォーキングのタキのネタバレレビュー・内容・結末

デッドマン・ウォーキング(1995年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

タイトルが某有名ゾンビドラマに似ているが、ゾンビはまったく関係ない。死刑執行に向かう受刑者を先導する役目の執行官が発するのが「デッドマン・ウォーキング」という言葉なのだ。
監督のティム・ロビンスは死刑廃止論者なのだという。この物語の主人公、修道女ヘレンもまた死刑廃止論者なのだが、視聴者の感情を死刑廃止に誘導するようなエピソードばかりではないし、彼女が死刑執行を反対し続け、死にゆく人の魂を救う理由として、犯罪者もひとりの人間でもちろん家族もいて、気の毒な環境で生まれ育っているのだから仕方がないなどという単純なものではなく、信仰がありそれに基づき努力を重ねるだけの覚悟が彼女にはあるようなのだ。

自分は相棒の犯行を見ていただけで殺人もレイプもしていないと無実を訴えるポンスレットがどこまで本当のことを言っているか死刑執行の当日までわからない。いよいよ死が近づきポンスレットは自分の罪を告白する。執行のその瞬間レイプ殺人犯の一部始終を始めてリアルに見せるという演出はことに強烈だ。
無実を訴えるポンスレットの最期の告白は罪を認めずギリギリまであがき続けた彼の狡さもさることながら、一緒に罪を犯した相棒は自分より力が強く負けたくなかったというホモソーシャルの関係性からおこる性犯罪の根深さを明らかにしている。この場合、自分の優位性を計る手段がレイプであり殺人なのだ。そんなもののために無惨に殺された側は救いを得る時間すら与えられなかったというのに、シスターヘレンは最後までポンスレットに自らの罪を認めるように働きかけ、その魂を救うために寄り添い続ける。私は信仰を持っていないので本当のところはわからないが、彼女の行いは罪を憎んで人を憎まずということだろうか。しかし信仰ですべて解決するとは思っていないというセリフがあり、そこにヘレンの正直さが伺える。「努力」なのだと彼女は言った。あれほどの犯罪者の魂を救うにはやはり彼女にも相当の覚悟が必要なのだ。
当時の犯行のシーンが挟まれる死刑執行の時間、ポンスレットは小刻みに震え、シスターを見つめる美しい濁りのない瞳は浄化されたようだ。それは罪と人間が分離された瞬間だったように思う。
しかし、自分が被害者家族だったらやはり彼の身勝手さを赦しはしないだろう。
死刑に賛同する側にも廃止を願う側にも同じように理はあるのだ。そこがまずベースにあるということを忘れてはならないと思った。
ヘレン役のスーザン・サランドンがアカデミー主演女優賞を獲得したとのこと。対するショーン・ペンは訳ありのチンピラ役をやらせたら無敵の感がある。あまりにひどいシーンを見せられているというのに死にゆくポンスレットとその手をとるようにまっすぐに伸ばされたヘレンの手を見て泣いてしまったのだった。
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