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バッド・ルーテナントのニトーのレビュー・感想・評価

バッド・ルーテナント(2009年製作の映画)
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そういえばヘルツォークの映画をまともに通して観るのこれが初めてだった。
これ一応フィクションですけど「日本で一番悪い奴ら」のような実録ものが日本にあるのにアメリカでああいうことがない、なんていうことはないわけで。
ニコラス・KGの過剰演技と相まって(どうでもいいですが和製ニコラスといえば藤原竜也が思い浮かぶ)爆笑ものでした。

私からすればあれはほとんど非日常の領域だし、警官とか軍人とかいった暴力(とりわけこの映画では。というかアメリカ?)と近接している職種の方々にとっても、あれはほとんど非日常なのではないかと思うのだけれど、ことこの映画のテレンスを見ていると日常と非日常の垣根が融解・・・というかインビジブルになっているのではないかと思う。

それはドラッグによる精神作用でもあるだろうし、きわめてマッチョイムズの蔓延するあの世界に適応せんがための精神的な負荷のせいでもあるだろう。というか、だからこそのドラッグなのかもしれないけれど。

さきほど例に出した「日本で~」の綾野剛にしたって、その一線を踏み越えることには自覚的だったし、まあなんでもいいけど「トレーニング・デイ」にしたってあれはイーサン・ホークという他者の視線を取り入れることでデンゼル・ワシントンがいかに非日常的存在であるかということを自覚させる作用があった。
んが、この映画ではそういった垣根を意識させるようなものが一見するとほとんどないように見える。

ともかく、悪徳を実践する中で、あらゆるボーダーが彼の中で見えなくなってきているのではないか。

署に賭博で儲けた金を持ってこられるシーンなど、それがテレンスの意思によるものではないにしてもほとんど狼狽などもせずに受け取るあたりなど目を疑う。

そこにくると、この映画で印象的に使われる爬虫類と魚類たちは何なのか。やすっぽいハンディカムで撮ったようなイグアナしかり冒頭の蛇もしかり。まあキリスト教的に言えば爬虫類というか蛇なんていうのは悪の暗喩であるし、魚はキリスト教にとって重要なシンボルであるわけだから、あのラストを見ればわかるように善なるものとして見れなくもない。

一人の人間が善悪を日常と非日常をボーダーレスに往来すること。そこには一切の間隙が存在しない無秩序な混沌が渦巻いている。

それは安らぎが、彼の魂に安らぎが存在しないということ。そこまでさんざんハイテンションなテレンスが、ラストカットにおいてのみ静寂を得ること。
そのわずかながらの安寧=救いも、しかしニコラスの顔面や僅かな挙動が混沌への回帰を予感させる。

要するに躁なニコラスくんがラストで一瞬だけ落ち着いたという話です。
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