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デンデラのsanbonのレビュー・感想・評価

デンデラ(2011年製作の映画)
3.2
日本映画が映像化に踏み切るにはあと10年は早かった。

というか、この物語はそもそもの設定自体が完全に"破綻"している。

今作は、"70歳"になると"口減らし"の為に「姥捨山」に「棄老」する悪習が根付く、雪に閉ざされた小さな貧しい村を舞台に、捨てられた老婆達が人知れず寄り合い、新たなコミュニティ「デンデラ」を築き上げていたという物語である。

しかも、この共同体は"30年“続き今作の主人公「斎藤カユ」の加入で丁度"50人目"を迎えるというのだ。

となると、この村で70歳を迎える老人は女性だけ(男性はデンデラからも見捨てられている為不明。)でも、"毎年1.6人"は居た計算になる。

口減らしが慣例化していた事を鑑みるに、時代背景としては恐らく"明治中期〜末期あたり"の話だろう。

ちなみに、明治時代の日本人の平均寿命は"約44歳"だ。

そんな、50年でさえも生きる事が難しい時代において、男性を含めると毎年欠かさず4人以上(男性の方が平均寿命が長い)が70歳を迎えているという数字は、勿論村の規模にもよるがそれを踏まえてもかなり"驚異的"であり、かつ70歳が最年少の集落で30年の間に誰一人亡くなっていないとは考えにくい為、4人以上という数字はそれを度外視した最低限の見積もりである。

はっきり言って、この"輩出率"で口減らしをしなくてはいけない程"困窮"に喘いでいるというのは、どうにも"辻褄"が合っていない。

また、70歳の体力で厳しい雪山の中、たった一人着の身着のままの状態で生き延びるだけでもかなり超常的なのに、よもや"ゼロベース"から一つの集落まで開拓してしまうなど"浮世離れ"も甚だしい。

しかも、50人まで膨れ上がった"超高齢化"極まる集落で、誰一人として"衣食住"に不自由している者が居ないというのだ。

それでは益々口減らしをしなくてはいけない理由がわからないではないか。

まあ、劇中でもそこに対して疑問を抱く老婆達による村への"報復"が取り沙汰されているから、これに関しては百歩譲る事にしよう。

ただ、今作にはどうしても看過出来ない要素が含まれてしまっている。

それは、このデンデラを"終焉"に導く真の存在として描かれる「殺人ヒグマ」と「雪崩」だ。

そう、この映画では熊と雪崩が登場するのだ。

日本映画で熊と雪崩だ。

邦画レベルの技術で、事もあろうに"熊=着ぐるみ"と"雪崩=安いCG"が見せ場となるのだ。

…これ以上は言うだけ野暮であろう。

なお、今作の結末はなにも分からないようになっている。

何故なら、村への報復も、デンデラの再興も、熊との決着も、誰が生き残るのかさえも言及されずに幕を降ろしてしまうからだ。

ともすれば、この映画が一体なにを伝えたいが為の作品かも"不透明"と言わざるを得なかった。

ただ、吹雪が吹き荒れる厳しい自然の中におばあちゃんばかりが映し出される"絵力"は相当なもので、その映像だけでも目が釘付けになるし、最後までどう転ぶか分からない展開には結局のところは興味深々であった。

まあ、それも熊が出るまでは…だが。

せめて今からあと10年くらい先であれば、安価でもそれなりのCGを創り出せるくらいの"技術進歩"は遂げているだろうから、どう考えても映像化するには早過ぎたとしか言いようがない題材であった。
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