年度末のがちゃがちゃで物事が始まる前に気ばかり急いて文句ばかり言ってぴりぴりしている。どこか期待していたものに裏切られ、考えなくても出来てたことが出来なくなる。丸腰になり何も無くなり地に叩きつけられても、身体が底力を出せるのか。同世代とあまりに隔絶した(「普通の人間」ではないことでも隔絶した)労働少女。その利発さ、社会性や動作性の高さは、挨拶もろくにできず要領も悪く不器用で親に依存しないと生きられない10代のころの自分は全く共感できなかった。独り森の中に隠棲して絵を描くことに没頭する女性に対しても同じだった。でもすべて剥ぎ取られた。何ひとつ上手くいかない。世界中のあらゆるものが自分とは無関係に動き、明るく快活で無遠慮でばらばらで、自分は置き去りだと感じてしまう。でも何ができるか。描いて描いて描きまくる、駄目ならやめる、と絵描きが言うように、一度だってやれただろうか。30年以上経っても思う。
男の子一人を片腕で受け止める重さを想像する。その重さから突如解放される。地中海のどこかをモチーフとしたような街と単純化された群衆の登場により俄に一点集中し、ファンタジックな軽さを纏う。もうそのときにはひとつ成長してる。そんなことが一度だってあっただろうか。泣いた。