ベイビー

ペパーミント・キャンディーのベイビーのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

暗闇から一点の光がこちらに向かってきます。しばらくすると、そこはトンネルの中だと気づきます…

そんなオープニングから始まる物語。やがて画面はトンネルを抜け「ピクニック 1999年 春」という章タイトルが浮かび上がります。

20年ぶりに昔の仲間が集ったピクニック会場。そこに突然現れ支離滅裂に叫び狂うヨンホ。彼が自暴自棄なのは誰の目からも明らかですが、この男の身に何があったかなんて誰も見当がつきません。

ヨンホは友人たちが心配する声も顧みず、ふらふらと鉄道橋の線路の上に立って「なぜだ、なぜ俺は…」「戻りたい」と意味不明な言葉で嘆き始めます。

そうしているうちにヨンホに向かって勢いよく列車が近づいてくるのですが、彼はその列車から逃げようともせず、目に涙を滲ませながら、

「帰りたい」

と両手を大きく挙げて叫びます…

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この作品の一つの特徴として見られるのは、時代を遡る章区切り。ヨンホが辿った二十歳から四十歳までの20年間を7つの時代(章)で区切り、彼が落ちぶれていく布石を現在から過去へと遡っていきます。

その章にはタイトルと時代が付けられていて、それを示す前には必ず線路の上を走る列車からの風景が映し出されます。

始めは気づかなかったのですが、しばらくその章前に映る線路を見ているうちに、この列車は順行で進んでいるのではなく、逆行しているのだと気づきます。

正解に言えば、列車は進行方向に進んでいるのではなく、最後尾から見た風景を逆回転させ、あたかも最前線から進行方向に向かっているように見せかけているのです。

その構造が分かると二つのことが見えてきます。それはこの物語は逆行こそが進行ということ。そして、それを踏まえるとオープニングで見たトンネルの光は、出口でなく入口だったということ。闇から見た希望の光でなく、光を失くす暗闇への入口だということです。

これは、ヨンホが光を失くすまでの物語
そして、「帰りたい」場所に戻るまでの物語

そうやって、少しずつ"過去"へと進行して行く脚本が本当に素晴らしいですよね。ノーラン監督の「メメント」も逆行パートと進行パートを巧みに繋いで行くうちに、ことの真相に辿り着くという見事な脚本でしたが、その成功の鍵を握ったのは"記憶"の演出だと思います。

そして今作でも"記憶"の演出は効果的に使われていました。この作品では"記憶"よりも"思い出"と言った方が相応しいかもしれません。まるで韻を踏むような"思い出"の使い方は、未来から過去の文脈を繋ぎ合わせ、ヨンホが闇へと辿る布石を少しずつ明かしてくれます。

例えばヨンホが新米刑事だったころ、彼の過剰な取り調べにより容疑者が脱糞してしまい、その汚物をもろに浴びてしまった右手。ヨンホは何度も何度も手を洗いますが、その汚れや臭いはなかなか落ちてくれません。

そんなタイミングで初恋の相手であるスニムが面会に訪れますが、何やら素気ないヨンホ。会話の中でスニムが「優しそうなその手が好き」と言っても、ヨンホはその言葉を打ち消すような態度をとってしまいます。それは自分は昔の自分と違い、自分の手はもう汚れてしまったと言いたげです。

この時点でいう"汚れた手"とは、"汚物で汚れた手"と"暴力という汚い手を使って自供させる自分"という二つの意味を指して言っているのだと感じてしまいます。でも実際はこの時の"汚れた手"とはただの比喩に過ぎず、次章のヨンホの過去を遡り見ると、本当の意味での"汚れた手"の事実が分かってきます。兵士としてあの場に居た「光州事件」。あの時のあの出来事が自分の全てを変えてしまったんだと…

このように今作の思い出を辿るバトンリレーが素晴らしく、結果が先にあって原因が後から付いてくるような因果関係の見せ方が秀逸で、過去へ遡るにつれ話の辻褄が自然と繋がっていくのです。

そうしているうちにヨンホの過去を遡る列車もいつしか終点に辿り着きます。それは「帰りたい」と願ったあの時。スニムと初めて会ったあの瞬間です。

「人生は美しい」

本気で思えたあの時
その想いを噛み締め涙が零れたあの瞬間
それを忘れてしまっていた今までの永い時間…

きっとヨンホにとって、冒頭で叫んだ「帰りたい」って言葉は、彼にとってのペパーミントキャンディだったんでしょうね。

食後のお口直しでペパーミントキャンディを舐めるように、自分の間違いだらけの人生をもう一度リセットできたなら…

ペパーミントキャンディはスニムから貰った初恋の味。二人の思い出が詰まった大切な味でもあります。その味を思い出すように「あの日に帰りたい」と、ヨンホは天を仰ぎながら本気で願ったことでしょう。

その冒頭とラストの涙のコントラストがあまりにも切なく、ヨンホの人生に抗えない侘しさがどうしようもなく溢れ出ています。あの冒頭の涙があればこそラストの涙が美しく輝き、ラストの涙がピュアに映るほど冒頭の涙が哀しい余韻となって感情を揺さぶります。

その涙のコントラストの描き方が本当に見事だと感じました。
ベイビー

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