海

銀河鉄道の夜の海のレビュー・感想・評価

銀河鉄道の夜(1985年製作の映画)
-
夜、窓のそばに座って、冷たくもないべたつきもしない気持ちいいだけの風を感じていると、ベルがふと上を向いてじっとすることがある。わたしの想像でしかないけれど、たぶん、風の匂いを嗅いでいるのだと思う。見えないものの流れがとどまらないように、そっと鼻先を風に沈めてるその仕草を見るのが好きだ。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に出てくる子どもたちは、どことなく未完成のように感じる。夜眠るとき、右の頬を沈めすぎてしまう子や、音楽を聴くとき、短調にしか耳をかたむけない子のことを思う。ジョバンニは慈悲かもしれない。カムパネルラは博愛だ。ふたりはそれにかたよりすぎている。ただ未完成のままに天から取り落とされた霊魂のようなのだ。この連休中、買い物のついでに二度、海に寄った。海の匂いはきっと知らないだろうから、いつかおしえてあげたいけどあんなにたくさんの水を見たらびっくりするかもしれない、とほうもないからね、とずっとベルに話しかけていると、まだわたしのふくらはぎに残ったままの海の匂いに、ベルは不思議そうな顔をしてみせた。昼間、膝まで感じていた波の、満ちるときの力強さと引いていくときの優しさが、夜風にあたってひんやりしてるベルの白い胸の奥にあった。その日、ベルの額からも海の匂いがした。不思議だった。不思議なことがある日は特別な日だ。だって、もう言葉を知りすぎたわたしにとっては、不思議に感じられるものだけが、本当に美しいものなのだと思うこともあるから。わたしが悲しんでいるのがわかるんだろう。ベルはもう何日も続けて、夜になると枕の端っこに頬をのせてきて眠ったふりをし始める。ときどき目を開けてわたしの顔を見つめているのがわかる。心配してるんだとわかる。ちゃんとわかるんだ。わたしは、そこにちゃんといてわたしを見つめる生命を、幻想とは呼ばないよ。もしもベルが、この猫たちと同じように未完成の霊魂だったなら、それをひとりじめしてるわたしは世界で一番幸福だ。ベルもこの子たちと同じように涙を流しているのだろうか。だとしたらその涙は、あんどろめだのきらめきよりも、ずっときれいだろう。手でふれられるまぼろし、どの星よりもそばにあるきらめき。
海