kuro

桐島、部活やめるってよのkuroのネタバレレビュー・内容・結末

桐島、部活やめるってよ(2012年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

「アルプススタンドのはしの方」で矢野を桐島に例えるレビューがあったので,積んでいたBDを再生してみた。この作品は,桐島が矢野ではなく,登場人物たちの多くが吹奏楽部の久住にかぶる。

「全員,他人事じゃない。」とBDパッケージのキャッチコピーが本編に合っていない。桐島が部活をやめることで右往左往しているのは,バレー部の副キャプテンと桐島の彼女であって,彼らの人間関係の範囲だけの問題にすぎない。同じクラスの大部分は無関係にそれぞれ過ごしている。「校内の人間関係に緊張感」というが,それは桐島に直接つながっている面々とその交友関係だけでしかない。桐島の存在は学年の中ですらその程度でしかない。

あと,「帰宅部」というのは即帰宅する部であって,放課後だらだらとバスケしている連中に帰宅部を名乗って欲しくないと元帰宅部としては思う。

そもそもヒエラルキーの「上」「下」というのは,「上でいたい」と願う連中が見下す対象としての下をつくりあげているにすぎない。劇中で「下」扱いされているはずの映画部が活動を認められ,一次通過で形式とはいえ全校に通知されているし,映画部には見下されているという意識はは見られない。映画部を下に見ているのは,桐島の彼女の友人とバレー部副キャプテン,あとは吹奏楽部の部長くらいか。

最後の映画部と幽霊野球部員との会話だとか,野球部キャプテンと幽霊野球部員との会話を見ると,「上」とか「下」とかといった自意識の問題であって,その肥大化した自意識が桐島の退部で揺らぎ始めたというところか。

野球部キャプテンが野球部に居続けるのを「ドラフトまで」ではなく,単に野球がしたいからのほうが,映画監督を目指さない映画部と同じで良かったのではなかったのかな。
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