カツマ

鏡のカツマのレビュー・感想・評価

(1974年製作の映画)
3.6
タルコフスキーの映画には常に精神世界と社会への問題提起が内蔵されているが、これは監督自らを写す『鏡』として作られた自伝的作品。物語の中の人物同士の中で鏡合わせになる者もおらず、時間軸も分解されて破綻状態。まるで監督自身の人生の回想シーンを断片化し、細かく刻み、それをバラバラのパズルとしてばら撒いたかのようで、映画そのものが精神分裂を起こしている。そもそも人間の内面は難解だ。監督自身の内面をぶち撒けたこのパズルも、完成させることにあまり意味はないのかもしれない。

言語障害の青年が催眠術により流暢に話すシーンから始まる。そしてタイトルバック。鮮烈。
だが、ここから(恐らく)タルコフスキー自身の回想シーンがスタートする。まずは幼少時代、若き母親は柵に座り佇む。そこに1人の医師がフラリと現れ、風とともに去って行く。
シーンは変わり、小屋が焼ける場面へと移る。少年はそれをただジッと見守る。

このような記憶の断片的なシーンが羅列され、その合間に第二次世界大戦期の歴史的背景や、スターリン時代の社会情勢などをさり気なく盛り込んでいる。骨格は掴めず、いや掴もうとさせることなく、監督自身の自慰行為のように垂れ流され続ける短編集の連続。またタルコフスキー特有の超映像技巧ともいえる美学がすでに確立されており、それだけでも見る価値のある作品だと思う。風の揺らめき、消えていくテーブルのシミ、少しずつ暗くなっていくランプの炎。そこに意味を見出さずとも映像の印象は鮮烈。タルコフスキーは自らを写す鏡をこんなにも美しく彩ってみせ、その透明な光を完璧に磨き上げてみせたのだ。
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