「鏡」に投稿された感想・評価

タルコフスキー監督作品。監督自身の感傷的記憶の表現に、パブリックな記録映像を差し込んで構成されている。過去や現在が交錯し、役者が2役演じているので、半ば、ごっちゃになったよ。
ゆうても、タルコフスキーですから、考察が余儀なくされるシーンが少なくないが、ラストはお気に入り。主演女優がなんか疲れてて、冷めてて、達観してて際立っていたぞ。
劇場で観れたことに感謝
観るのは3回目だけど、本当にスルメ
観た後に色々話せる友達がいて良かった
ひる

ひるの感想・評価

3.7
赤ちゃんが急に大人が憑依したかのようにニヤリと笑うところが怖かった。
正直に言うと全然分かって無いです

もっと調べてもう一度見直します
やっぱ掴みきれなかった。ストーカーって分かりやすかったんだなぁという気持ちになる。まず登場人物の見分けがつかない…笑。過去と現在と未来の母親と、母親の幻影と?

でも、揺れる木の葉も燃える火も垂れ下がる布もどこかを見つめる表情も、何であんなに美しいんだろうか。ゆっくりとすべっていくようなカメラワークも。最初に風が吹いてくる場面は鳥肌が立った。

チェーホフの六号室とドフトエフスキーの悪霊を読んで、ソビエトの歴史を確認してからもっかい観たいなあ。
kuskus

kuskusの感想・評価

-
監督の記憶の機能にまつわる作品の中でも最も抽象的な作品

監督自身の幼少期のエピソードがベースにある
タルコフスキーさん、鑑賞2作目。
流石というか、相変わらずというか、、
映像の詩人。芸術至上主義。
無理に言語化しようとすると、意識的に迷子になりそう。するけどな!!

一言でいうなら“戦ぐ(そよぐ)”
ソラリスに続いて一言シリーズ。
無遠慮な林を、茂る草原を、記憶や歴史の残像を戦がせる風が印象的だった。思えば浴びる系の映画を久しぶりに体感した気がする。

夢で思い出す、哀れな母。
離れて暮らす、妻と息子。
燃え盛る火の中に、滴り落ちる雫の中に、自分の純感情を探しながら、騒つき揺らぎ、無理やりに落とし込めるような諦めがあるように思う。

監督の自伝的要素が多いらしいけど、夢うつつのような映像の中で確固たる存在感を放つ火や水や緑といった自然表現が、この話の根底を成している気がした。

ん〜〜〜、迷子だ笑

印象論でしか言葉にできない。難解であることはもちろん、原初的で私的だろうからか。

あの溶け込みそうなくらい融和してしまう感覚は割と珍しかった。ラストとか特に。気づいたら前のめりになってた。幽体離脱しそう。
衛星

衛星の感想・評価

4.1
夢みたいな美しい映画。
母親に対する憎しみがあるらしくて束縛的だったとか語られるのがあまりよく分からない。むしろ全体通して母への同情を感じるというか、あるいは主人公の中ではすでに終わった話なのか。
nn

nnの感想・評価

-
むずい。。むずすぎる。カフェイン取らずに見たらめっちゃ眠かった
映像が綺麗で言うことないし言葉がいつも本質的で好き。全体的に彩度が高い。
傷だらけの鳥を掴んで上に放り投げるシーンがよかった。
山前暁

山前暁の感想・評価

5.0
㊗️999followers💮有難うございます❣️

時代の変化に際した新たな表現を確立した作家と言えば、自分にとって先ず想い付くのは、

Karl Marx

Little Richard、John Lennon

Andrei Tarkovsky、R.E.M.、Ari Aster

Andrei Tarkovskyの場合、ロシアについて語っているのかと思うと監督自身の過去・現在・未来のことだったりしますね。

R.E.M.の場合、「It's the End of the World as We Know It (And I Feel Fine)」(1987)のMVに解り易く表現されている、1つの家の中にアメリカを集めて、そこから飛び出していくことなんですね。

Ari Asterの場合、絶対的な他者と出会う畏怖の感覚を描いていると思いきや、あっと驚く展開で、ある女性の愛のゆくえについて(『Midsommar』(2019))でしたよね。

社会の事を語っているようで、しかし本当は1人の事を芸術として昇華していく訳だから、実にこれは詩みたいだな、そうおもいました。

そっかあ、パーソナリティについてならば、

自分を信じろ!!!

なんと明快なメッセージだろう‼️

炎🔥を神秘的に描いた
素朴な信仰🙏🏽を描いた

どこまでも外の世界に憧れた映画監督Tarkovskyの内宇宙…「逆行」の…いやいや、予想とは違い、再びCOVID-19が猛威を振るう今、残念ながら特集上映『ソビエト時代のタルコフスキー』は観に行けそうにない😷💧💧

TENET🪁だなんて殊勝な気持ちでもいられなく、MIRROR|MIDSOMMAR📛

NO DRUG,TOO HIGH.

やはり我々は愛の言葉をしらなければいけないようなんですね。

逢瀬の一瞬
また一瞬を
祭りのごとく祝った
世界は二人のもの
君は鳥の羽より軽やかに
大胆に
階段を駆け下り
僕を誘い入れた
ぬれそぼるライラックの
中を抜け
鏡の向こう
君の世界へと

夜のとばりが下り
慈愛が僕を満たした
祭壇の扉が開かれ
裸体は闇に輝き
静かにその身を傾ける
僕はつぶやく
"君に幸あれ"と
だが分かっていた
その祈りの不遜さを
眠る君のまぶたを
宇宙の色で染めるライラック
青く染まった
まぶたは
安らぎに満ち
手は温かだった

水晶の中で
川は脈打ち
山々はかすみ
海はきらめく
君はその水晶の天球を手に
王座に眠る
ああ
君は僕のものだった

人の語る日常の言葉を
君は別のものにした
言葉は力に満ち
響き渡った
"君"という言葉が
新たな意味を明かす
"君"すなわち"王"なのだ
この世は一変した
たらいまで違って見える
二人の前には厚い水の層

いずこへか運ばれる
僕らの前に
蜃気楼のごとく都が広がる
草は足元に
ひれ伏し
鳥は共に旅をし
魚は川をさかのぼり
空は目の前に開けた

その時
運命が僕らのすぐ後に
かみそりを手に
狂人のように

これは劇中に朗読される父Arseny Tarkovskyの「First Dates/最初の逢瀬」という詩。
次は
https://www.sensesofcinema.com/2014/cteq/mirror/ より一部を、DeepL翻訳/DeepL Translateで🤗

…このことは、『ミラー』を初めて見る人にはわからないでしょう。タルコフスキーは、時間軸の間、架空の再現とアーカイブ映像の間、カラーとモノクロのフィルムストックの間を自由に行き来しており、これが最初に出会った時には、見る側にある種の混乱をもたらすかもしれない。この混乱は、幼少期のシーンでは母親役を、現代のシーンでは妻役を同じ女優マルガリータ・テレホワにキャスティングしたことによってさらに強められている(彼女の演技は素晴らしい。また、40年代にはタルコフスキーを、60年代にはタルコフスキーの息子を、同じ俳優のイグナート・ダニルツェフを起用していることや、アレクセイのアパートに不思議な女性が現れ、息子に1836年にプーシキンがチャーダーエフに宛てた手紙を読ませるシーンなど、合理的な説明を拒むシーンがいくつも含まれている。

🖖詩的な映像と、詩そのもの
💭これさ、広義の「 詩 」が、連続してんじゃない ?
🗯映像も「詩的」で、詩の朗読もある
これは「 詩 」にしか出来ないことを、体感するための映画なんです。まもなく超絶大傑作『Spider-Man: Into the Spider-Verse』(2018)がNetflixに配信される👾🕸アニメーションにしか出来ないことはキャラクターに近づけば近づくほど実際よりもリアルな表情のヴァイブレーションというべきか、対象の質感が伝わってくるところですね🕸僕らは高畑勲の『おもひでぽろぽろ』(1991)の"紅花摘み"のclose-upや、宮崎駿の『紅の豚』(1992)の"飛行艇乗り"のclose-upでそれを知っていますね🕸偉大な先達は「人生はclose-upで観れば"悲劇"で、long-shotで観れば"喜劇"だ」と語っていますが、アニメーションである『Spider-Man: Into the Spider-Verse』ではそんなことはお構いなしに、存分にclose-upの"喜劇"を表現している🕷じゃあ「 詩 」にしか出来ないことは何なのか?Andrei Tarkovskyの『Mirror』(1975)の映画への没入感は何なのか❓--「 詩 」は自分を表現することが出来ます。

ユーモアも忘れられない。"過去"に対する思慕の念に、「 詩 」をぶつけることで、笑える。

「詩」とは言葉を用いたはずなのに「 詩 」として映像でもそれを表現可能にした点で、「詩」を極め、「 詩 」へと更新した点で、監督への評価は確立しているのです。

音楽にしか出来ないこと、マンガにしか出来ないこと、映画にしか出来ないこと。詩にしか出来ないことは、これまで(とその先)の人生を1日の話にするような芸当。

--人生の1日の話

ああ❗️マスクをしないで外出していたあの頃が懐かしい

ていうか「自助」だけで一体どうしたら良いのでしょうか❓

彼女は🔺クスリで🔻運転中に意識がブッ飛んで
彼女がファースト・レディだって
言い当てられた奴はいなかった

🚨僕は君を刺激したいのさ⏰
>|