海

EUREKA ユリイカの海のレビュー・感想・評価

EUREKA ユリイカ(2000年製作の映画)
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心が、行き場所をうしなうときがある。わたしの大切に思っとるひとを苦しめたことのある誰かが、幸せになろうともがいとるのを知ったときとか、本当に大好きやったひとが、別れたあとでもわたしのことを下の名前で呼んどるのを知ったときとか、目の前におったそのひとを、自分の力ではすくうことができんかった一瞬、相手は覚えとらんちっちゃなことでも、わたしのなかには、自分よりもあなたのほうがずっとひとりぼっちだったことの切なさを、ずっと忘れられんで思い出してしまうときも。でもわたしの心が、一番行き場所をうしなうんは、迷い猫の貼り紙をみたときかもしれんと思う。月に一回くらい、ねこの薬とご飯をもらいに動物病院にいく。待ち時間に壁の貼り紙をいっこずつ見てく。保護猫譲渡会がいつも開かれとるのは、わたしが小さい頃大好きやった公園。警察が茶白の犬を保護しとるらしい、とってもかわいい子や。それから目にはいる、数日前に散歩にでたっきり戻ってこんという猫の写真。顔のアップやったり、くつろいどるとこの全身やったりする。赤色の首輪をしとります、鳴き方が独特です、すごく、人なつっこい子です。怖いって気持ちもある。悲しいや、さみしいって気持ちもある。でも言葉ではあらわせん。何もかもが、行き場所をうしなう、帰って猫の顔をみるまでそのことしか考えられん。この映画を見とって思い出したんはそういうときの気持ちやった。怖くて悲しくてさみしくて切なかった、でもそれを、いつか知っとる気がしたから、ものすごく温かった。「他人のためだけに生きるっちゅうとは、できるとやろか」その台詞と、それに対する親しいひとの答えを、聞いてしまったときにわたしは、もうこの映画のこと嫌えんやろうと思った。おなじようなことを、大好きやったひとに言ったことがあった。わたしが言ったんは、自分の人生には、恋よりもとるべきものがあるかもしれん、ということやった。それに人生をかけたい、でもわたしは臆病なんやとおもう、なのにできるでしょうか、ということやった。そうね、それは、「あなたのために生きられん」と、そういう意味もあったんかもしれん。それでも、あなたならできる、とそのひとも言った。

言葉なんかいらんと、ねこの睡る午後にはよく考える、雨のよくふる平日にも、いい風のふいた休日にも、となりにおるときも、おらんときも。でも、言葉なんかいらんことを伝えるのに、言葉がいる。声がいるのよ。そとに出たらまだ肌寒い。虫の声はせんけど、鳥はちゃんと鳴いとる。これから春がきたら、鶯がうたい、夏がくれば蝉が、秋がくれば鈴虫が鳴くんやろう。ときが流れることが、ものすごく怖いときもある。うつろう時代に置いてかれて、じぶんだけなんも変わらんで、ひとつの意志をつらぬこうとしてきたぜんぶが、間違っとるような気持ちになることもある。でもわたしやあなたには、正しいことをするために、間違ったことをせんといけんときがあるのよ。許しちゃあいけんひとがおる、許さんといけんひともおる。たぶん、他人のためだけに生きることはできん。それでも、誰かのためだけに生きようとすることはできるんと思う。みせたいものを照らす陽と月あかり、みせたくないものをかくすかげと暗闇、ただどんなときもこのかたちでここにおることを、風がとおりからだじゅうをなでるたびに知れる。迷い猫が、見つかっとったらいいとおもう。ちゃんと家に帰れとったらいいとおもう。世界中の、迷い猫が家に帰るためやったらわたし、死ぬまで不幸に苦しんでもいいと、祈っとるのかもしれん。
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