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硫黄島のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

硫黄島(1959年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

新聞社に勤める新米記者の男性が、第二次大戦中に硫黄島で生き残り過酷な体験をした兵士と出会う。彼は、当時書いていた日記を回収すべく硫黄島へ戻ると語った。しかし後日、男性は硫黄島にて死亡する。驚いた記者は、彼の動向を探る決心をする。

菊村到の芥川賞受賞作の映画化作品。
戦闘シーンなどないのだが、硫黄島での戦い(戦争)での悪夢を引き摺って戦後を迎えた一人の男の運命を描く、ミステリー仕立ての戦争映画の佳作である。

戦後6年が経っても、戦争の悲惨な爪跡は人々の脳裏からまだ去らない時代、東亜新聞の新米社会部記者武村均は、行きつけの飲み屋「のんき」で不思議な男と出会う。

片桐正俊というその男は「記事にしてもらえませんか」と、硫黄島での惨状を話した。
別れぎわ、片桐は近々、当時に書いた日記をとりに硫黄島へ行くと武村に話す。

これは記事になると、興味を示す武村。
だが、間もなく「硫黄島には行けそうもない」という片桐からの電話があり、記事は取止めとなった。
それから数カ月、他社の記事に片桐が硫黄島で死んだと報じられ、武村は呆然とする。
不可解な片桐の行動に、片桐が本当に語りたかったのは何か? 
武村は真実を探ろうと決心する。

まず、武村は板前をやっている片桐の戦友、木谷を訪れた。
木谷は硫黄島である日、悲鳴ともつかぬ片桐の叫び声を聞いた。
死体が動いたというのだ。
その死体を自分が殺したと思い、片桐は苦しんだという。
そして、片桐は日記なんか書いていなかったとも木谷は語った。

ついで武村は、片桐と恋仲であった森という看護婦がいることを知り、彼女を訪れた。
森の兄と片桐は硫黄島で一緒だった。
復員した片桐は兄を失った森を慰めた。
そんな片桐に森が求愛した。
だが、片桐は「僕たちは結婚してはいけないんだ」という電話を最後に去っていったという。
片桐も森を愛していたらしいが、それなのになぜ彼は愛を拒絶したのか? 

片桐が働いていた工場を尋ね、そこで武村は、森が片桐が殺したと苦しんでいた戦友の妹だったことを知る。
自分が殺した人間の妹と結ばれるなど、許されることではないと片桐は思ったのだろうか?

疑問の解けぬ武村に同僚の記者が言った。
片桐は硫黄島へ行って、何かに自分を裁いてもらいたかったのだと。
その夜、武村は片桐と出会った「のんき」でやるせない気持ちで酒を飲んだ…。

激戦の硫黄島で生き残り、終戦後4年経って、ようやく帰国した兵士片桐の物語。
派手な戦闘シーンなどないが、戦地で生き延びるための悲惨な暮らしと、戦争が終わって本土に帰還しても生涯消えないトラウマによって、戦争の無益さを訴える。

人肉が腐臭を放つ島で、洞窟に隠れて生死の境を彷徨う日本兵。
火炎放射器で焼き殺された同胞たちを目撃し、その同胞の死体から食料を漁り、水たまりの泥水を啜ってまで生き延びた帰還兵は、生き延びてしまったことを罪だと感じてしまったのか?

帰還兵の心情とはどのようなものなのか?を推しはかる(推理する)ドラマとなっている。
それに硫黄島へ行ったのはなぜか?
死んだのは自殺か事故死か?
本作は片桐の死の真相に対して、明確な答えを出さない。
そこが大きな不満ではあるのだが、主人公片桐の心情を読み取るべき、考えるべき余白を大きく残しているのが非常に日本的で文学的である。

いずれにせよ、片桐は罪悪感に怯えながら死んで行ったのではないだろうか?
生き残った自分が平和を享受して、自分だけ幸せになるのは死んでいった同胞たちに申し訳ない…と。
自分には、そんな気がしてならない。

昭和の善人の代表のような大坂志郎が硫黄島に沈む夕陽を見て流す涙は、見る者に良心の呵責を訴える。
戦争帰還兵の心の闇を描く作品は、アメリカ映画では事実上の敗戦であるベトナム戦争以降に多く作られたが、第二次世界大戦敗戦国である日本ではずっと以前に作られていたことは興味深い。
隠れた良作である。
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