海

もののけ姫の海のレビュー・感想・評価

もののけ姫(1997年製作の映画)
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仕事に行く日よりも早い時間に起き、猫にいってきますと5回ほど言って家を出た。開店前のショッピングモールの、映画館専用の入り口へ向かっている途中、赤とんぼを見た。
赤とんぼだ。今年広島で見るのははじめてだ。人差し指を立てそっとその高さに手を上げてみると、赤とんぼがそばを通り過ぎた。四枚の羽がつくった小さな風が指先にふれるのがわかった。
生まれてから8年ほど暮らしていた町は、きっと都会育ちの人が聞けばそんなところでは暮らせないよと笑ってしまうほどの田舎だった。夜に御札なんかを燃やしてお餅を食べるお祭りがあったり、家の裏に猿が出て小学校のプールには瓜坊が出たり、道ゆくひとは皆わたしの名前を知り声をかけ、夜集会所に神楽を見に行くこともあった。虫もたくさん居て、時期になると家の前の坂道を、物凄い数の赤とんぼが飛び回った。小学校に上がる前だったか、ちょうどもののけ姫やナウシカ、その時代のジブリをビデオや金曜ロードショーで観ていた頃だ。赤とんぼを育ててみたいと思い、一匹の赤とんぼを捕まえて虫籠に入れた。夕方になるまで納屋で捕まえたとんぼを観察し、家に戻る前に「ごはんあげんで、死んだりせんのかねぇ」とまだ一緒に暮らしていた父親に聞いた。曖昧な答え方をされて、何度も繰り返し聞いた覚えがある。夕方のオレンジの陽光に透かして見るとんぼの姿は、とても綺麗だった。
翌朝、納屋の前に置いていた虫籠を覗くと、とんぼは動かなくなっていた。昨日まであんなに綺麗だった生き物が、こんなに簡単に冷たくかたくなって死んでしまうのだということが、とても信じられず、そのときのわたしはまだ幼すぎ自分がひとつのいのちを殺したのだという罪の重さにとても一人じゃ耐えられなかった。やって来た父親に聞いた。「赤とんぼ死んでしまっとる。動かんくなっとる。海が殺したん?」「虫は弱いけえすぐ死ぬんよ。捕まえんかっても死んどったろうけえ、海は悪うないよ」
『死んでしまうんじゃったら虫かごの中にとんぼ閉じ込めたりしとうなかった。もうこのとんぼの羽は動かんくなってみんなとおんなじように飛ぶこともできんくなってしもうた。昨日まではできとったことが、いまはもうできんくなってしもうた。』
言葉が出てくるより前に父親は死んだ赤とんぼを家の裏に連れて行った。砂利を踏む音だけが聞こえた。殺したくなかったいのちを殺した。何もかも知らなすぎる自分への怒りと悲しみが喉のとこまでこみ上げて来て、握りしめた手でぎゅっと目をおさえた。殺したのは自分だ、絶対に泣いちゃいけないと思った。
烏帽子様やサンやもののけ達と、同じだけの強さを持っているアシタカに、わたしは今でも心底あこがれます。同じだけの知性と優しさと強さを持っていて初めてわたしたちは、同じ目線で同じものを見、真っ当に語り合えるのだと本作を観るたびに思い知る。わたしもそれだけの知性が欲しい、優しさが欲しい、強さが欲しい。どれだけそうなりたいと熱心に励んできても、今の今まで、本作にはずっと圧倒され続けている。タイトルバックだけで色んな感情があふれて視界が滲み出したかと思えば、あとは目が乾き切って痛くなるほど画面をひたすら見つめ続けた、わたしはもう本作への私的な感情と、本作からもともと受けている印象を、分け隔てることさえ上手にできない、作品への純粋な尊敬と愛は、鑑賞中おもいだされるわたしがこれまでの人生をかけて学び愛し関わってきたすべてのものにあまりに複雑に入り組んでしまっている。人間以外の生き物への正しい知識を身につけるためシートン動物記を読み始め、動物図鑑や犬種図鑑を暗記するまで繰り返し読み写真を見ながら絵を描きもした、あのときわたしが望んでいたのは『もののけ姫』にあるような完璧な共存の世界だったんだろう。
わたしはあの頃とどれくらい変わっただろうか。幼い頃は絶対にペットショップなんかから動物を買ったりしないと心に決めていた。ペットショップがどんな仕組みなのかも調べて知っていたし、単純にいのちに値段が付くなんてあっちゃいけないことだと思っていた。それなのにわたしは18の時ペットショップに30万円という大きな現金を渡して一匹の猫を連れて帰った。一年半も毎日毎日見知らぬ誰かに見られ触られながら一人で生きてきた子だとか、あと少しでこの子は一生涯せまい檻の中で繁殖の道具にされるところだったとか、そういうのとは全く関係ないところでわたしはあのとき良くないことをしたのだという自覚がある。それでも今ベルのことを見つめるたびわたしが思うのは「間違っていない」ただそれだけだ。
わたしたちは、いや、わたしは、どんなに心で良くないことだと分かっていても、どうしてもそれを選択しなければならないような場面に時々出会ってしまう。自分にとって、自分の愛するものにとって、何が一番正しい道なのかをさぐるときわたしは、まどわされたくない。自分の目で正解を見極めたい。そのためにわたしはいくらでも学び続けなくてはいけないし、何もかもを頭が知り尽くしたとて何も知らないままの心を失ってはいけない。大切ないのちを抱きしめて頬ずりをするときのこんなものじゃ足りないと思うその強さで筆圧で自分のことを、書き続けないといけない。しめし続けないといけない。どんな恥をかいても、何にさえぎられても。幼い頃から何度も繰り返しもののけ姫を観てきた、この世に生まれ落ちて22年が経った今はじめてわたしは、モロがアシタカに向かい放つ「おまえにサンを救えるか」という言葉を聞いた気がした、その言葉の本当の意味、そこにある自らと万物へ向かう怒りと悲しみを、統べるえぐっても取り除けはしないただ一つへ向かう深くうずまった愛情を、すぐそばに耳元に目の前に、感じた。
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