ニトー

地獄の逃避行のニトーのレビュー・感想・評価

地獄の逃避行(1973年製作の映画)
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地獄要素は「地獄の黙示録」に合わせた日本側の配給にのみ依拠している、という「戦争のはらわた」案件なわけで。

打算なき戯言。あるいは夢幻の戯事。ホリーのモノローグで始まるこの映画はキットの最期すらもホリーのモノローグで語られるのみ。
若気の至り、というにはあまりにも取り返しのつかない道程。

ホリーのはだえを包む、幾重の色に彩られ頻繁に変わる衣服は、しかし彼女の父親の所有物であること以外の何物も示唆しはしない。
だから父親が死んだところで悲しみはしない。けれども解放されるわけでもない。カタルシスなどあろうはずもない。

これは多分、ホリーの束の間の夢だったのだろう。

弁護士の息子と結婚したのは、離陸したはずの現実への、夢想からの着陸にほかならない。その依って立つ地面は、彼女が白昼夢として考えていた「誰か」であり、それは誰でもいい「誰か」でしかなかった。

信用できない語り手、などという概念それ自体が呑気なものだと個人的には考えているのだけれど、この映画にとって、このの語り手であるホリーの言葉の信用の有無なんてどうでもいいのではないだろうか。

それにしてもシシー・スペイセクはこの後に「キャリー」だったんですね。この人のお世辞にも美人とはいえないどことなくアンニュイな佇まいが好きだったり。

「ハネムーン・キラーズ」「地獄愛」といった愛の地獄に連れ立つこともない。それは至極真っ当な、しかし決して正気ではない退屈で抑圧された現実の生に舞い戻ることを意味する。

だからあの一瞬の夢が、信用できない語り手としての彼女のナラティブがなお一層輝きを帯びるのでせう。
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