海

ウェルカム・バクスターの海のレビュー・感想・評価

ウェルカム・バクスター(1998年製作の映画)
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絵画をみるとき、それが風景画ならば、絵の真ん中に大切なひとのすがたを想像してみる。海岸を歩いているすがた。草原に立ち尽くしているすがた。夜中、街頭の下で歩いているすがた。そのひとはどうしてるか?笑っているかな。泣いているかな。変な顔をしているかも。手をふっているかもしれない。胸がぎゅっとして、どうしても泣きたくなる。絵画を見て、わたしが泣くときは、そういうときだ。ささいな表情の変化や、そのとき言える言葉や、言わないと決めた言葉や、かなしくなるほど大切そうにふれている手が、好きなのと同じくらい、そのひとを縁取る風景が好きだ。いきもののからだは、きれいにきれいに、自然にあるものを真似る。それが生き残るすべみたいに、母からゆずりうけた重要な能力みたいに。砂漠と海が似ていることに気づいたのも、呼吸をするときの、胸の動きを見ているときだった。ふくらんではもどる。ふくらんではもどる。それは、うってはかえす波のようで、ふかれては移ろう砂丘のようだった。ゆびでなぞれば、神さまの気分。荒波を起こせる、砂嵐を起こせる。わたしは街を築いた。まばたきをすれば灯りがついた。小さな小さな街だった。思い出すのは、いつも、最後にうしなった日のことで、うしなうことが、わたしをつくっていく、手にいれることが、本当はこわいくらいに。心にふれること。あなたの悲しみを、じぶんのことのように感じること。あなたが外側に向ける愛情を、あなたよりもずっとわたしが、心の底から信じていること。あなたの内側で起こったすべてのことを、何年もかけて、聞いていたいとおもっていること。なにも正さない、そのままのかたちの、やさしさしかわたしにはもう残ってない。かざれない、そのときだけはどんな嘘もつけない。テレビも携帯電話もなく、あるのはラジオと会話だけで、空は広く遠く、道は長く続き、時間だけがくだらないほどありあまった退屈な町に、わたしは居たい気がする。ちっぽけなさみしさが、ひろげすぎた腕のなかで、包まれてとかされていくような映画だった。いとおしかった、ひとをつくっている、あらゆるもののことが。
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