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無頼漢のotomisanのレビュー・感想・評価

無頼漢(1970年製作の映画)
3.5
 権力は交代するとな、水野に言わせてりゃ世話がない。しかし、権力側さえそんな倦怠を覚えたかもしれない長すぎる幕政をなんでなんで、九割以上の庶民が支え切ってきたわけで、その間に割って立った、丹波、斉加年、圭らのパッと花火の十か二十ばかりで御改革の鼻を明かそうという底の浅さもかわいいばかりだ。
 呆けた昭一花火が天下の御正道に血の雨でも降らせてりゃあアカデミーノミネートぐらい乗っかれたかもしれない。少々伝統舞台に気を遣い過ぎて、出る釘を刺し損ねたかと勘繰ってしまう。
 そんなわけで、せっかく直侍がしゃあしゃあと生き延びても、百一遍殺しても死にそうにないおっかあの始末に奔走するので精一杯の態と見え、これもちと拍子抜けた。
 要は、老中も直次郎も倦怠気味だし、叛徒河内山一味も一発屋的だし、花火を合図に大ごとをというイチモツが現れそうで何もないという総スカの中、金持ち森田屋がコッソリ蠢いてそうな、これが世間のカラクりよと嘯く気な感じに止まってしまった詐欺映画である。まあ、河内山ものだから謀るのも当然か。
 こうしたなか、僅か数秒むしろオーソドックスな芝居を通した蜷川本人と喜和子の語りの場面が妙に普通によく撮れていて、信太監督、何ぞ化かされたか?というふうで面白かった。
 そんな数秒間だけが、まあ付け加えるなら水野の言ぐらいが、精々値打ちのように思えてしまうのは、全編を覆う膨大な感じの美術の山のせいでもある。多大な製作の末に映写時間数分の後にはゴミと化すあたり、かえって、御改革が目の敵とする所以そのもののようにも見えて、そこそこの絢爛さが滑稽でもあった。水野の背景の江戸総絵図も金をかけて本来の色刷りを用いれば、どこかの図書館に寄贈でも出来たかもしれない。武家からすると何を浮かれて馬鹿の骨頂をと掃いて捨てたいのも理解はできるが、そうは問屋が卸すかと正史に表れない河内山以下の奮闘をもう一寸しぶとくあざとく穢く拵えて欲しかった。映画なのにね。
 いうべきことは悪口ばかりだが、目にも楽しく、なぜか結構おもしろかった。が、面白ずくならこんな書き物などせん。面白げな体制で面白げなネタと拵えで、旨味が増さない謎が1970年にあるのか、篠田か蜷川にあるのか、みな済んで終ったことでどうしょもない。
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