クシーくん

東京スパイ大作戦のクシーくんのレビュー・感想・評価

東京スパイ大作戦(1945年製作の映画)
3.5
第二次大戦勃発前夜のキナ臭いニッポン、トーキョーを舞台に、外国人記者ニックが日本政府の陰謀を追うサスペンス映画。公開日が1945年4月ということで戦争末期の作品だが、それと感じさせないモダンな雰囲気が楽しい。

アバンタイトルでいきなり東洋のヒトラー、タナカ・ギイチ!に笑ってしまった。田中上奏文という、中国で流布した偽書を元に作られたようだ。田中上奏文とは「世界征服にはまず中国の侵略が不可欠である」と田中義一が昭和天皇に上奏した、とされる偽文書で、早い話が当時の陰謀論ネタで一本、といった所だろうか。
田中義一といえば張作霖爆殺事件を受けて、関東軍の犯行を隠蔽しようとする閣僚と板挟みになり、曖昧な上奏をしてしまい、昭和天皇から叱責を受けて失意の内に内閣総辞職、その後塞ぎ込んだまま間もなく亡くなってしまうという実像を知ると、正直ヒトラーのイメージからはややかけ離れて見える。彼の政権下で右傾化が着々と進んでいたのも確かだが、黄色いヒトラーギイチは多分当時のアメリカ人が思っていたような人ではない。まあ田中上奏文の時の総理だから悪の親玉にしただけで、本人がどういう人だったかなんて、アメリカ人からすりゃどうでも良いんだろうけど。

勿論戦時中なのでメインの日本人役は全て白人俳優が演じている。有名所では、東條英機大佐役に『キングコング(1936)』のロバート・アームストロング。いずれの「日本人」も顔が釣り目がちで、訛った英語を話すという点ではステレオタイプなのだが、もっと醜悪に描いた作品がある中で、戦時中にしてはビジュアル面においては意外なほど露悪的ではないという点が興味深い。
ただし、やや間抜けではあるものの、一見ニコニコ近寄って来て始終お辞儀をする慇懃な態度のその実、極めて陰湿で悪賢い「日本人」への憎しみを煽る描写が随所に盛り込まれており、プロパガンダ的要素にも余念がない。
一方で、タツギ殿下という皇族の老紳士が終盤で軍閥の暴力的な政治から自由を守る為、主人公達に手を貸しており、日本人=全てが邪悪のような一面的な描き方でもないのが、なんとも1945年アメリカの余裕と誠実さを感じる。

クライマックスで長々と格闘する日本の警部オオシマは長身禿頭の屈強な男で、身長が165cmしかなかったジェームズ・キャグニーと比べると、痩身矮躯で貧相というレッテルを貼られていた当時の日本人像とまるで逆転している。オオシマに敢えて巨大な俳優を配したのは、打倒すべき憎き強敵である事を視覚的に強調する為だろう。
また、オオシマがキャグニー演じるニックの後頭部を不意打ちして気絶させるシーンがあるのだが、これは卑怯な騙し撃ちをしたリメンバー・パールハーバーを想起するのはあながち考え過ぎでもないように思う。ラストシーンの「許し」と「借りを返す」という応酬もここに繋がるのだろう。端的に、日米関係がよく表されていた。ともあれ、完全に包囲された中で大使館へと歩んでいく緊迫のラストショットは良かったが、その結末はなんとも中途半端だった。キャグニーの啖呵も、本作の公開からたったの4ヶ月で、我が国の降伏で終戦する事実を知っている今なれば、なんとも虚しさを感じる。

『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ(1941)』で大当たりしたジェームズ・キャグニーはギャング映画に出演していた頃のギラついた雰囲気は完全に鳴りを潜めて、落ち着いた雰囲気が板についている。
オオシマ警部役のジャック・サーゲルはロスの警官であり、当地では柔道のトップアスリートだったらしく、キャグニーに柔道をレクチャーした。この縁で後続のキャグニー主演作に何本か出ている…らしい。
キャグニーは本作の為に相当練習したものか、襲いかかる相手を鮮やかにちぎっては投げ、ちぎっては投げ、観ていて気持ちが良い。

シルヴィア・シドニー演じるヒロインは上海出身の米中ハーフという設定だが、どう見ても白人女優なのはご愛嬌として、彼女の家政婦として中国人が出てくるが、喋っていたのは明らかに広東語であった。彼女らは上海からやってきた筈なのだが、なんだかめちゃくちゃである。可憐な雰囲気は敵か味方か謎の女スパイ、という役柄にマッチしていたかは微妙。

神棚が何故か仏壇だったり、主人公の寝室に御真影が飾られていたり、漢字が所々いい加減だったりと、よく見ると変な所はあるが、セットはかなり良く出来ているし、作風の生真面目さも手伝って、ヘンテコJAPAN感は余りない。劇伴はお江戸日本橋などの邦楽をサスペンス風味に編曲していて中々面白い。
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