カラテNINJA/ジムカタの作品情報・感想・評価

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ninjiro

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1.2
ジムカタ。

説明しよう。
それはつまりgymnastics(体操)と空手のkata(型)を組合わせた造語。そんな居酒屋での悪ふざけから産まれたようなワガママなフレーズにニンジャとカラテを闇鍋の如くにブッ込んだドンズベリのタイトルの時点で既に本作の大混迷は香ばしく予見される。

主人公は米国を代表する体操選手。80年代的甘いマスクと私服センスが眩しい。彼はその身体能力を買われ、王政の敷かれるアジアのとある小国における危険任務を国家秘密機関から請け負う。その内容は、国を挙げて行われる「死のゲーム」への参加。そのゲームはなんと過去900年もの間勝利者が居ないと平気でのたまう無茶な無差別格闘アスレチック競技。敗者には即ち死あるのみ、しかし勝者にはその栄誉と共に思う望みが一つだけ叶えられるという。側から見れば900年もやっているなら色々と見直しをかけた方が良かろうとは思うものの、その一途さこそがお国柄なのかも知れない。ところ変われば事情も其々、門外漢は漏れそうになる言葉をただ吞み込むのみである。そして米国側の目的は、斯様な民間人を使ってまで東側陣営を牽制せんが為の核警戒衛星基地を防衛の要であるその小国に置かんとすること。えらく持って回った大作戦である。

本作の制作期の時代的バックグラウンドとしては、東西冷戦構造における米国側の正当性を文化的な側面から殊更声高に叫び、当時においても時代錯誤的な国威発揚となす事を良しとした謂わば華々しき暗黒の時代。
本作がそのような政治的側面の何某かの後押しにならんとしたか、単純に下世話な流行りに乗ろうとしたか、その意図は測る由もない。
しかしこれが国家の中枢から見出された画期的作戦かと思えば西側の正気を疑う逆宣伝ともなり得るのではないかと、他人事ながらヒヤヒヤさせられる。

そのような面倒な背景は説明と同時にあっという間に置いてきぼりを食らわせるのはこの手の作品のある意味天然の美点と言えるかも知れない。
謎の奥義「ジムカタ」を会得する為にとなんの高揚感も得られない適当な訓練シーン(突っ込みどころ満載)などを交えながら、いざ彼の国へ。入国の手引きをするのは、傀儡王政を東側陣営に売り飛ばさんとする実権者に反旗を翻し亡命したと見られる彼の国の姫。仮にも一国の姫という立場にありながら大してストーリーも進まぬ開始10分程度で主人公のつまらんナンパに容易く陥落し抱かれてしまう驚愕の股の緩さに、今度は彼の国の大らかな民族性を見れば良いのだろうか。ところ変われば…(割愛)。

すぐ先の将来展望すら見えないグダグタの基幹ドラマ部分に早くも辟易とした観客にとって残された微かな興味は「ジムカタ」なる新機軸に如何に魅せられるか、その一点。
しかしそんな儚い夢も咲くこと無く、無残に散ることとなる。
入国後、呑気に市内観光と洒落込む一向に忍び寄る魔の手、同道したガイドを何者かに殺され、姫を攫われ、主人公も敢え無く取り囲まれる。
すわジムカタ発動か?と思いきや、無駄な捻り回転を連発しながらシンプルに蹴りやパンチで応戦するのみ。これでは只の身軽な人である。
連れ去られた姫(他方の立場で見れば保護されたとも言える)を救出する為、敵地へ乗り込む主人公、返り討ちにせんと応戦する敵に追われ裏道に駆け込んだ主人公が偶然見つけたのは、街中には不似合いな堂々たる鉄棒。これ幸いと飛びついた主人公が大車輪を回す中、追っ手は丁寧に一人ずつ巻き込まれては弾き飛ばされる。

こ…これがジムカタ…(ゴクリ)。

そして姫が監禁(保護)されている(主人公の主観では悪の)政府高官の公邸らしき建物へ堂々と侵入し、当然の如く発見された主人公は大暴れの末に敵の銃を奪ったかと思えばそれを乱射し、敵を射殺!最早ジムカタなど知ったことかとばかり、また他国に来たビジターの身でありながら構わず土足で踏み散らすその姿には自己批判的に西側の傲慢さがそっと織り込まれている、というのは考え過ぎだろうか(そうだと思います)。

やっと本筋である「死のレース」が始まる頃にはこちらの鑑賞意欲も既に瀕死の状態であるが、何とか観進めるとそのレースの全容が明らかになってくる。各ポイントでは崖をロープで登ったり、谷をロープで渡ったりとなんて事のない少し無茶な障害物競走だが、そこに鬼ごっこの要領で矢や刀を持った黒装束の兵士たちが襲いかかり参加者を殺して行くという、つまりは「人間狩り」こそがこのレースの正体だったのだ!…うーん、果たして誰が得して誰が喜ぶんだろう…。

そして律儀にレースポイントを巡っていく主人公は荒廃した町に辿り着く。そこは「狂人の町」と呼ばれ、国中の精神を病んだ人たちが集められた町…と書いているだけでヒヤヒヤする倫理的に非常にリスキーなシチュエーションだが、街中には襲い掛かって来たかと思いきや自分の腕を鎌で切り落として退場していく人、大挙して押し寄せて来たかと思いきや、その内一人を主人公が鉄拳でボコリとやるとドン引きしてフリーズする人々、手招きするケツ丸出しの司祭、何故か後頭部にリアルな顔を貼り付けた男など、書いているこちらとしても眩暈がするほど意味不明にしてシュールな絵柄が蔓延、そしてとうとう広場で追い詰められ絶体絶命の主人公の前にはちょうど鞍馬の如くにいい具合に取っ手の付いた長方形の岩が!
これ幸いとばかりに飛びついた主人公が脚を伸ばして回転する例のあの技を繰り出せば、巻き込まれた人たちは丁寧に一人ずつ弾き飛ばされる。

…正直忘れていたが、こ…これがジムカタ…(ゴクリ)。

やっと辿り着いたラスト(観客目線)には取って付けたような大団円と、温度差を考慮しない無情のメッセージが叩きつけられる。
このメッセージこそが実はジワジワと効いてくるのだが、きっとそれは制作側の意図する処とは正反対の感情の迸りである。

ニンジャと名の付くタイトルの映画に忍者なしというのはある程度定説だが、本作もその例に漏れていない。ただ黒装束の兵士がのほほんと出てくるだけのものだ。カラテにしても同様。
また、居酒屋のワンアイデアであったはずのジムカタだが(想像)、何がどう間違ったか通ってしまった企画の為にと驚天動地の典型的御都合主義が展開される強引な手法にはある意味圧倒される。それでいて観ている側は面白くもなんともないという内輪ウケの嵐のような地獄絵図。
まさにカオスである。

監督するのはあの「燃えよドラゴン」のロバート・クローズ。たまたま「燃えよ…」こそブルース・リーという巨大な存在により結果異形の大ヒット作となったものの、元々の企画自体はB級そのもの。
彼の産み出した作品目録を見るとそれ相応に滲む苦労が偲ばれる。

この作品がDVDというメディアが登場して以降に正規国内盤が流通したという話はついぞ聞かない。
レンタル業界がVHSソフトの設置スペースを縮小し始めたのは随分前の話になるが、その折およそ真っ先に処分対象グループに入ったであろう本作。
そもそもの流通絶対量自体がごく少量であり、私のように幸か不幸かレンタル落ちソフトを掬い上げる事例も無くはないが、そのような物好きの一般家庭以外の棚で本作を見掛けることはまず無いだろう。
考え方によっては、万が一にもこれを手に取ることで痛恨の無駄な時間を過ごす人が少なくなったということは、寧ろ喜ばしい事なのかも知れない。