海

海辺の一日の海のレビュー・感想・評価

海辺の一日(1983年製作の映画)
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エドワード・ヤンがあやつる時間の波に身をゆだねていると、わたしはわたしの持つ最も古い記憶のもとまで戻って、そのまま、名前もかおも知らないだれかの中にはいっていきそうになる。たった一時間や二時間で、はじめて会ったあなたの、悲しみのいちばん深いところに触れる。あなたの声や表情や仕草がわたしをつれていく。あなたの手がわたしの手を引いてゆく。悲しい女ばかりを見てきた。光に照らされる幼い子を、ながめて微笑んでいるときも、薄暗い部屋の中で、テレビを見ながら眠くなるのを待っているときも、悲しげで、疲れていて、孤独な女性ばかりを見てきた。彼女たちは死を知っていて、憎しみを知っていて、怒りを知っていて、深すぎる愛を知っていた。そういうときの母を見るとき、わたしはいつも、泣き出したいほどの不安に駆られた。だから母が、次の日の朝に、いつもどおり顔を見せて「おはよう」と言ってくれるのが、夢みたいに感じた。ずっとそれが世界だった。生きてて、悲しんでて、泣くように微笑んでて、どんなに傷ついても何かのために怒ってて、楽には生きていけないひとが、わたしにとっての世界だった。明日、死ぬかもしれないひとだけが、わたしの世界だった。雨がわたしたちのはだかの手を洗って、陽がわたしたちを砂のようにやわく戻す。月がみてる、わたしがあなたをみているように。風がきてる、わたしがあなたをさわったように。天国がもしも本当にあったら、そこではじめて見るものは、きっと海だとおもう。
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