Maki

風立ちぬのMakiのネタバレレビュー・内容・結末

風立ちぬ(2013年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

公開:2013年
鑑賞:金曜ロードショー×2回




▼ ▼ ▼ ネタバレあり ▼ ▼ ▼





●はじめに2015年に書いた文章です●

上映を逃したあと、ネットで「意味わからん」「主人公クズ」「老害引退大正解」とか散々叩かれているのを目にした。どんなもんだろ…とテレビ放送を観ると、状況説明も心情表現も薄っすらで「ん?え?」と戸惑う箇所はある。けれども、追ってすがってかなえた夢から醒めたあとの絶望の有り様、無性に胸が熱くなった。

この映画に対する戦争賛美、軍国主義、選民思想、男尊女卑、喫煙中毒などなど批判否定落胆意見の数々は、宮崎駿やジブリに過剰に期待して過剰に落胆しているのかな。少ない賛美意見には「この良さがわかる俺すげえ」とか「男子にしかわからない」とかも見かけたが、そこまで鑑賞者を選ぶお話でもない。

主人公「堀越二郎」は幼少からの夢「飛行機設計」に妄執し没頭する。裕福に育った彼は戦前戦中も衣食住に困窮せず、エリートで仕事もすぐ認められ、仮に失敗しても避暑地で悠々と心身を癒す余裕があり、常にピラミッドの頂点らへんを漂っては、美しい妻まで娶るのだから反感を買ったのだろうか。でも「他人に無関心」「飛行機にしか興味がない」といわれがちな彼もなんだかんだ上司や友人や後輩や親族に尊重され、離れた妹にも慕われ、なにより菜穂子にあれほど愛されている。細々描かれないところを含めて魅力的な人物なのだろう。そして、その魅力には本人も自覚すらしない「甘い毒」がたっぷり混ざっているのだろう。

ラスト。煉獄。二郎がカプローニに答える。
「だれも帰ってきませんでした」じゃなくて
「一機も帰ってきませんでした」が印象的だ。
清々しいくらい。
 


ジブリ 鈴木敏夫Pインタビューで「理想と妄想だけの話だから映画にできない」と乗り気でない宮崎駿を説き伏せて映画化させたのに、いざ任せたら「(理想と妄想が暴走しすぎてて)どうやって売ればいいんだよ」と頭を抱えた話が可笑しかった。庵野秀明より宮崎駿のほうが独善的な傾向があるはず。


●ここから2021年に書き足した文章です●

6年ぶりに観た。なぜだか途中からぽろぽろ涙が零れはじめ最後はボロ泣き。カプローニの爆撃機に満載の村人達がはしゃいでる姿も泣けて。飛行機は丹念に創られ、牛に引かれ、陽光を浴びて颯爽と空を舞い、挙句は撃ち堕とされて死屍累々の残骸と化す。飛行機に心があったなら。

そして女性たち(菜穂子、黒川夫人、加代)の心情や言動にことごとく共振する。エンドロールに流れる荒井由実「ひこうき雲」がこの物語のために歌われたように飛び込んでくる。

二郎(モデルではなくこの映画のキャラクターとしての彼)のごとき人物は、悪気がないぶん厄介だし下手に近づくと毒されてしまう。けれども、こういう才能も強運も持ち合わせた人物がときに技術革新を成し遂げ、停滞や危機を打開して歴史に名を残しているのも事実。なんとなく映画『ファースト・マン』のアームストロング船長を連想したり。

愛の形に正解も理想も美醜もなくて。二郎と菜穂子、それがエゴの塊であろうと欲望のままであろうと「あの形で覚悟して、あの形で愛を貫いた」ただそれだけのこと。だからこそ、二郎が菜穂子の落命を悟る演出はひどく哀しくとても胸を打つ。
Maki

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