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愛、アムールのNMのレビュー・感想・評価

愛、アムール(2012年製作の映画)
3.8
まず最初のシーンが満点。この女性に何があったのか。

そして次は定石としてこうなる暫く前の出来事だろう。

コンサートのシーンも素晴らしい。そっちから撮るのか。そのまま終わるのか。凄い。
会話の高度さからして、二人とも音楽の専門家らしい。

この知的な夫婦が朝食を取る部屋は狭くて素晴らしい。広くて素敵な部屋はいくらでもあるが、狭いのに、いや狭いからこそ素晴らしい、というのは珍しい。
家自体は十分広く裕福らしいと推測できるが、余計なものはないが、断捨離しまくって物がないというわけでもなく、気の利いた調度品はあるという、完璧なバランス。
本棚には無理なく入る程度の楽譜や音楽関連本、CDが入れてあり、壁の一角には写真をたくさん。
キッチンは古びているが小綺麗で、調理器具は最低限。同じような器具が何個もあるなんてことはない。
知性や心の豊かさが部屋に現れている。

そしてアンヌにふいに訪れる異変。きっと現実でもこんなことがあるのだろう。
知性が高いから痴呆が起きないとは限らない。誰にでも平等に、突然不運の矢が刺さる。むしろそのギャップに余計に苦しむこともあるだろう。
このシーンから早速、愛とは何だろう、と考えながら観ることになる。

会話が洒落ている。「イメージを損なう話はしないでね」中略「一杯おごるよ」は傑作。
この知的で仲睦まじい夫婦がどのように変化していくのかが作品のみどころ。

はじめのうちアンヌは気丈に振る舞うが、本当は酷く自尊心が傷付いていることが分かってくる。
ジョルジュがいる時は明るくしているが、家で一人になるとぐったりしているらしい。内心絶望していて、生きる気力がない。

そうなると介護はますます大変だ。肉体労働のみならず、励ましたりなだめたり楽しませたり、かといってプライドを傷つけないようにと、これまで以上に気を使うことになる。

体が不自由とはいえ、いつも絶対にミスのないように行動するというのは難しいだろうと思う。できることを減らしたくない、あわよくば増やしたいし、夫を呼ぶには些細過ぎる用事ならつい自分でどうにかしようとするだろう。しかし失敗し、ますます自尊心が傷つく。

悲しく辛いシーンなのかもしれないが、支えられて立ち上がったり歩く練習をする様子はなにかダンスしているようにも見え、個人的には美しさすら感じてしまった。

症状は進んでいく。
はたから見れば理想的な夫婦。病院に預けず自宅介護するなんて。
だが現実は甘くない。
意思疎通も難しくなっていき、食事や水を摂らせるにも苦労。お互い苛立って、ますます心が離れていく。痛い痛いとは訴えるがどこが痛いのか、本当にどこかが痛いのかすら分からない。

別居している娘は心配で連絡をよこしたり訪問したりするが、ジョルジュにとってはそれは余計に手間となる。それを娘は理解しない。
衰えていく姿を本人も見られたくないし、夫も他の人に、特に家族には見せたくない、という気持ちも共感できた。私もそう思うかも知れない。
一方で状況を知る権利があると考える娘も間違ってはいない。私も何かしたい、ママと何かコミュニケーションを取りたい、と思う。だが、眠っているアンヌをわざわざ起こし、無理に会話をさせ、できないと分かると泣き崩れまたジョルジュに手間をかける。
娘に悪気はないが、結果として父の言うことを聞かず駄々をこねているかのような状態。

結局ジョルジュは病気の妻と、心労の娘の両方の面倒をみなければならない。
病人や老人を家で面倒をみることが理想だとは一概にはいえない。預けた方が良い場合だってある。

結末は意外だった。驚いた。ずっと冷静に耐えていたがやはり相当の苦労だったのだろう。次の瞬間考えた、これはいかほどの罪だろうか。もし自分がこうされたら恨むだろうか。本当は少し前からお互いこうなることを望んでいたのではないか。少なくとも彼は咄嗟の行動ではなく、頭の中で静かに考えていたはずだ。だからこそその後も冷静で手はずも良い。まるで綿密に計画されていたよう。
もちろん、法的には論外だ。嫌悪する人も多いだろう。だが、もし自分がそうされたら、相手に感謝し、愛してると言いたくなるのでは、と思った。
この二人を、愛し合っていて、且つ非常に知性の高い二人に設定しておいたのにも納得がいく。
これを、不器用で物事を上手く考えられない人がやったのでは単に絶望と思われてしまう。この二人だからこその映画。

最後の皿洗いのシーンは秀逸。その前にやっていた作業と合わせて、これで何が起こったか一目で分かる。

最後に娘を登場させる。娘はこれを理解するだろうか。するとしてもかなり先のことだろう。
多くの人は賛同しないでしょうね、という監督の予想を表している。

正直、鳩の件はどういう意図か私には分からない。鳩といえば平和の象徴だがここではそれは関係なさそうだ。ふいに降りかかった不幸の象徴のようでもあり、何とか掴んだ愛の象徴とも考えられる。観客がそれぞれ自由に考えられる余白を残しておくためとも思える。

色彩は落ち着いたトーンだが、時々ポイントとなるような差し色がよくある。やけに赤いグラスが目を引くとか。それ自体に意味はなく、画面全体の引き締めのため、といった印象。アンヌの症状が重くなりだしてから部屋が全体的に暗くなったような気もする。
ラストの、娘のいる部屋と誰もいない部屋との明暗の差は、生死を表現しているように思った。

思いテーマを扱っていながら、感情をいたずらにあおらず、静かに物語が進行していくのにも大変好感を持った。そういえばBGMも殆どなかった。
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