Azuという名のブシェミ夫人

昼顔のAzuという名のブシェミ夫人のレビュー・感想・評価

昼顔(1967年製作の映画)
4.5
医者でハンサムな夫と何不自由ない暮らしを送る貞淑な妻セヴリーヌ。
しかしその実、過去のトラウマから不感症となっていた彼女は、愛する夫に負い目を感じている。
ある日、夫の友人から娼館の存在を聞いた彼女は、躊躇いながらもその世界へ足を踏み入れていく・・・

トラウマがあることで、自分自身の性欲を解放することが出来ず、また同様に夫を性的に満足させることが出来ないという負い目から、抑圧された彼女の激情。
押しこめられて抑圧された欲望というのは、放っておいても消えてなくなったりはしないのだ。
溜まりに溜まった欲望が爆発するように、それは夢となって現れる。
彼女は夢の中で汚され、いたぶられ、責めを受ける。
その描写はなかなかに衝撃的。

しかしそんな性的に倒錯した内容でありながら、この作品はなんとも美しく、扇情的な白昼夢とでも申しましょうか。
昼に華やかに咲く花、昼顔。
品のある貞淑な妻だった主人公が娼婦になった際につけられた源氏名である。
そんな昼顔=若きカトリーヌ・ドヌーヴの内から輝くような美貌が、この作品の捩じれた性的嗜好の背徳感を上品なものに仕上げている。
内容に拒否反応を示す方もおられるでしょうが、彼女のヘアスタイルやファッション(イヴ・サンローラン!)がとっっても素敵なので一見の価値アリかと。
どんなマゾヒスティックな場面もため息がもれるように綺麗♡
・・・と言うより“美しいものが汚されている”っていうその事態こそが、サディズムの対象になりえるのでしょうね。
マゾヒズムとサディズムは正反対のようで表裏一体。
セヴリーヌは娼館の客である多様な性的嗜好をもった男達と交わることで、自分のマゾヒズムを満足させながらも、同時に裏切りの行為をすることにより愛する夫に対して心のどこかでサディズムの快感を覚えていたのでは?
始めはあんなに迷って躊躇し、娼館の周囲を足踏みウロウロしていた彼女だったのに、最後の彼女はなんて晴れやかなんだろう。
馬車の鈴の音が頭に鳴り響いて離れない・・・あぁ傑作だわ。

それにしても、様々な性的嗜好があるものだ。
実際目の当りにしたらドン引くだろうけれど、こうして観ている分には笑えてしまった。
あの公爵とか、もう何それ・・・予想の斜め上行くわー。

『イイ女・・・昼は淑女のように、夜は娼婦のようにだな』って高校の時先生と話したことを思い出した。
『あはは、なるほどねー!』なんてみんなで話してたけど、今考えてみたら女子高生と男性教師がする会話としてアウトだったな。笑
先生、私いまだにイイ女になれそうもないよ。笑