Azuという名のブシェミ夫人

アデル、ブルーは熱い色のAzuという名のブシェミ夫人のレビュー・感想・評価

アデル、ブルーは熱い色(2013年製作の映画)
4.4
フランス語が耳に心地良いよ、フランス映画フェス開催中。

ずーーと気になってたこの作品。
熱いよ。ほんとにブルーは熱かった。
フランス映画って基本ゆるい空気なものが多いけれど、この作品はエネルギーが凄かった。
過激で熱くても、暑苦しくはないの。
赤の炎じゃなくて、青の灯。
静かに見えて、あたりすぎると火傷してしまうんだ。
素晴らしい二人の女優、アデル・エグザルホプロスとレア・セドゥに拍手を贈りたい。
彼女たちは作品の中を生きていた。

アデルは17歳。
私が17歳の頃、まだ世界はとても狭かった。
自分という人間の正体がまだ良く分からなくて不安だから、何かが不足しているように思えて“完全”にならなくてはいけない気がしてしまう。
大人になると“余白”や“伸びしろ”だって思える心にあるその空間が、思春期の頃には埋めなければならない“隙間”に思えちゃうんだよね。
アデルはその隙間に嵌るピースを見つける為に手探りしていて、ふとエマに触れて手に取ってみたんだろう。
真っ青な髪の彼女、周りの誰とも違って見える特別な存在。
一緒に居ることで自分の隙間を補って余りあるくらいに思えたのね。
そうしていつの間にかエマのことをスペシャルなものに仕立て上げてしまって、気がついたらエマを生身の人間として考えることが出来なくなってしまったのかもしれない。
エマだって、普通の人間なんだよね。
サルトルの実存主義に傾倒していて、芸術家で、レズビアンで、熱きブルーの瞳を持った一人の女性だったんだ。

幸せならそれでいい。本物の恋なら。
別に過ちだったわけじゃない。
ただ違っていた。
それは女性と女性だったからじゃない。
恋愛には、時にそういうことがあるっていうだけ。

成程、あの両親の元で育ったからアデルは堅実な生き方を求めるようになったのだなと納得させられる食事シーン。
あのシーンだけで、アデルの家庭の説明になる。
それにしてもボロネーゼのパスタをよく食べるもんだからさ、今日の夕食パスタにしたよね。まんまと。