かすとり体力

アクト・オブ・キリングのかすとり体力のレビュー・感想・評価

アクト・オブ・キリング(2012年製作の映画)
3.8
概要(Wikipediaより引用)
1965年、時のインドネシア大統領・スカルノが陸軍のスハルト少将のクーデターにより失脚、その後、右派勢力による「インドネシア共産党員狩り」と称した大虐殺が行われ、100万人以上が殺害されたといわれている、9月30日事件を追った作品。当時、虐殺に関わった者たちを取材し、彼らにその時の行動をカメラの前で演じさせて再現するという手法をとった異色のドキュメンタリー映画である。(引用終わり)

いやホントこのあらすじの通りなんだけれど、まずはやはりこの、歴史的な事実から受ける衝撃な。

やっぱこう我々が何の気なしに享受している人権なんつぅもんは当たり前に手に入っているものではなく、我々人類が試行錯誤し血を流しながら、概念を整理し、為政者から掴み取り、社会システムに組み込んできたものなんだな、という当然だけど忘れがちな事実を思い出させてくれる。

まじで、選挙行ってない人とかがもしいるなら、映画とか観てなくて良いから選挙行こうな。

そしてのこの事実を、ドキュメンタリー映画としては異例の「加害者視点から」の手法で描写する。

これ、どうも被害者の取材をしていたらインドネシア政府からNGを出されたことによるものみたいなんだけど、結果してこれが本作に圧倒的なオリジナリティーを付与している。

やはり、加害者が(少なくとも表面上は)自分たちの悪行を善行だと思っており、社会的な評価も同様だという厳然たる事実。

この事実が持つ、個人に還元され得ない悪性、つまり社会が、もっと言うと人類が、世界の設計ミスからこの世に生み出してしまった地獄。

これを非常に巧みに可視化出来ていると思う。

それでいて、上で(少なくとも表面上は)と記したところに、本作はメスを入れていく。

作品終盤で描かれる「加害者に被害者を演じさせる」というエクストリームな展開と、それにより加害者にどのような変化が齎されるか。

この展開からは、なぜそのような当たり前のことに人間は気づけないんだという人間の愚かしさと同時に、

どのような条件下であれ、人間は最後にはそのことに気づくんだよなという人間性への最後の信頼、

この相反する二つの要素が同時に想起され、ちょっと他作品ではなかなか味わえないような心持ちにさせられるところがある。

かなりの劇薬であるのは間違いないが、良くも悪くも世界への解像度を高めてくれる作品、幸せな豚から不幸せなソクラテスに変態する契機を与えてくれる作品だ。
かすとり体力

かすとり体力