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胸騒ぎの恋人のsoffieのレビュー・感想・評価

胸騒ぎの恋人(2010年製作の映画)
3.8
2014年公開

カナダのフランス語圏ケベック州出身の
グザヴィエ・ドラン監督作品

1989年生まれの若き監督が最初の作品を撮影したのは19歳

本作は2010年カンヌ国際映画祭
「ある視点」部門で上映されたドラン監督の長編映画第2作目の作品


「唯一の真実は愛の衝動だけ」


アルフレッド・ド・ミュッセの言葉で始まる物語。

主人公の2人
フランシスとマリーはまるで仲の良い姉弟のような親友。
ゲイのフランシスとストレートのマリー。

マリーはフランシスのセンスの良さをいつも褒める。
フランシスはマリーはとても素敵なのにビンテージのワンピースやコートを引っ詰め髪で着てお祖母ちゃん世代の主婦みたいな格好をするのをやんわり嗜めるが、マリーはビンテージファッションにビンテージヘアでキメることに満足を感じている。



2人はパーティーでふわふわの金髪のニコラと出会う。

人の容姿にカーストがあるなら
ニコラは第一軍、最上位に生まれ落ちた神々しい美青年だ。

かたやフランシスとマリーはなにをどうしても一軍には入れない二軍選手だと言うことを自分達でよく分かっている。

最初にニコラを見たマリーが
「あのナルシストの美形は誰よ!」
とトゲがある。
「え?あの金髪?
…たしか…、名前はニコラだったかな?
ソフィーの友達がつれてきた…」
フランシスもあまり興味が無いような振りをする。
 

 このパーティー以後2人の日常はニコラでいっぱいになる。
「彼は素敵だと思うわ、私の好みじゃ無いけど」
「なんて言うか…自分にはちょっと違う感じかな」
争い難い魅力を生まれ持った人に、出会った人間が最初にやる初期症状。

徹底的に相手は自分の好みでは無いと自分に言い聞かせる。

この時点で実はもうどっぷりと 
一目惚れの恋に落ちている。

2人はニコラを巡って静かに恋の火花を散らす。

全編フランス語の映画、
題名もフランス語。

監督はカナダ出身だけどフランス語圏生まれ。

映画はどっぷり恋愛カナダ映画。
この映画が称賛に値するのは
まず監督が非常に若くしてこの作品を制作した事が評価されている。
さらに
主人公の1人がゲイなので全編同性愛者の視点が見れる。

最初私はフランシスを演じている俳優がドラン監督に似てるな…と思っていた、後半それがドラン監督本人だと分かり、この映画に対する感想が大きく変わった。

最初、美しい青年を巡って
親友の女の子とゲイの男の子が火花を散らす、LGBT寄りの映画なのかな、と思っていた。

監督本人がフランシスを演じていると分かると、この映画が恋愛二軍落ちのカーストの人生を生きる若者の一軍美形への盛大な「恨み節」だと思った。

⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⚠️ネタバレ注意⚠️⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎⤵︎
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「恨み節」を決定的にさせるのは
フランシスとマリーの話と並行して
ストレート、ゲイ織り交ぜた男女の恋愛の赤裸々な恋愛体験がインタヴューで語られている映像が物語の合間合間に入ってくる。
全部、酷い扱いを受けて振られたか
振られもせずに忘れられた酷い話し。
どんなに相手が理不尽な事をしても
愛している方が絶対的弱者となり我慢してさらに自分を全部捧げてしまう。
愚かしいけれど、いつまでも忘れられない恋。

愛の衝動に身を任せたばかりに、日常の生活の全てが恋人でいっぱいにになり起きていても、寝ていても相手からの連絡を待ち、メールをしたらメールしたことに落ち込み、返事が来たら天にも登る気持ちになり、その内容の冷たさに一気に地獄に落とされる。
今度会ったらハッキリと酷い扱いをしたことを責めて言いたかった事を全部ぶちまけて振ってやる!と心に決めても
久しぶりに会った恋人が微笑むと、全部許してしまう愚かしさ。

自分が馬鹿だと分かっているし
ほとんどストーカーになってることも分かっているし
別れたら別れたで相手に使った金額を思い出し腹が立ったり、でもその価値のある人だったと肯定している自分に嫌気がさす。

グザヴィエ・ドラン監督は俳優で映画監督、若くして既に成功をおさめている。
でも彼は身長169cm
小柄でカワイイタイプのゲイ。
俳優として監督として認められ有名になるまで、きっと彼は「フランシス」だった。

容姿のカースト最上位の人間というものは、生まれ落ちた時から人生の全ての鍵を持って生まれたのと同じ。
まず母親が恋人
父親も恋人
周りの大人も恋人
甘やかされて甘やかされて、嫌な事があっても誰かが常に自分を甘やかして賛美してくれる人生。
お金が無くても
「大丈夫」と誰かが払ってくれるし
必要な物があれば誰かが貸してくれたり、プレゼントしてくれたりする。
常にパーティーやバカンスの誘いがあり
自分は気分次第で一番魅力的なオファーに首を縦に振るだけでいい人生。

その大きなこぼれ落ちそうな瞳と
素敵な唇
片目にかかった乱れた前髪

もしこの美しい人が朝目覚めた時
隣で眠っていたら死んでもいい…と本気で思わせる魔力を生まれながらに持っている。

なんの準備も無く
こんな美形に会ってしまい
「ヤバい!絶対にヤバい!好きになるな!好きになってない!好きじゃない!むしろ嫌いかも!」と繰り返し始めたら
それは命綱無しにバンジージャンプしてしまったのと同じ悲惨な結果になる。

フランシスのアパートのバスルームにある数字を数えた跡。
それはフランシスが出会って素敵な人だと思った相手から
「ごめんタイプじゃないんだ」と振られた回数。

ドラン監督はきっと本当に有名になってモテる以前のフランシス状態の時、あの数字を書いていたのだろうと思わせるリアルさだった。

フランシスにもマリーにもベッドで愛し合う相手はいる。
その恋人は自分を気使って、大切に扱ってくれるけど、抗い難い魅力を生まれ持った美しい人に出会ってしまったら
「ああ、自分も二軍だけどコイツも二軍、二軍落ちが二人で同類あい憐れむ、同じ穴のムジナ状態」に更に悲しくなる現実。
でも泣いている時に抱きしめてくれるのは本当に助かるんだ!と思っている。

監督は「愛」とは衝動だと語っている
そしてその「衝動」だけが真実だと。

自分で言い訳が出来ない激しい気持ち。
命綱無しに飛び降りたバンジージャンプのような恋

マリーは素敵な素敵なニコラとの会話で
致命的な地雷を何度も踏む。

フランシスは素敵な素敵なニコラといい感じになりかけてはマリーに気を取られてチャンスを逃す。

マリーとニコラの「恋に発展しなかった友情の最後」は
「家に火にかけたままの鍋があるから帰る」とニコラに言われ。

フランシスは「愛している、きみにキスしたい」と告白をして
「僕はゲイじゃない」と言われる。

マリーはヘアサロンで「まだ25歳なのに…」と言っている
多分、フランシスも同じくらいの年齢なのだろう。


この映画はニコラが出てきて話が盛り上がるが、監督は「恨み節」を語っているので
あんなに重要なニコラが最後の数分で
映画の中心から蹴落とされる。

友達や新しい自分に夢中の東欧の血が流れていそうな美人を連れて現れたニコラは、部屋の入り口にこちらを見ているフランシスとマリーを見つけて声をかけに来る。

「久しぶり君たちに会えて…」

言いかけると、フランシスがまるで喉の奥に痰が詰まったように
「カーーークァーーーーーッ!!!」と身体を歪めて全身でニコラに不快感を示す
マリーはずっと見下す目線でニコらを睨んでいる。
ニコラは2人の酷い態度に失望して仲間の所に戻って行く。

そのあとカメラの角にも映らない。

あのフランシスの態度は凄い。
「僕はゲイじゃない」とニコラに振られた悲しみが、やがて怒りになり、さらに恨みとなった結果、ニコラの普段と変わらない様子に感情が爆発したドラン監督本人の
「自分を振った美形達への嫌悪の現れ」
それをフランシスになり切って演じている。


フランシスとマリーはこの最後のシーンで非常にキメている。
ラフな格好のニコラが初めて垢抜けなく見えるくらいに。

そして、2人はニコラからの呪縛を断ち切り、パーティーに来ている素敵な新しい美形に目を付ける。

最後のシーンでニコラは完全なモブキャラに落とされる。

完璧なグザヴィエ・ドラン監督の
「勝利」の映画。

彼はもう「フランシス」では無い。
フランシスは「グザヴィエ・ドラン」になったのだから。

世界中の美形が映画に出たくて自分にひざま付いて、自分を賛美する圧倒的力を彼は手に入れた。

羨ましい人生を手に入れたドラン監督。

私がグザヴィエ・ドランの作品を見たのはこれが初めて。

印象的な曲の使い方やビンテージ風の画面はちょっとタランティーノ監督やニコラス・ウェンディング・レフン監督を思い出した。

まだまだ話題作がAmazonプライムにあるので見るのが楽しみ。

トム・フォードもそうだけど、ゲイをカミングアウトしているファッショナブルな監督って、必ず「過去の恨みを精算」する映画を作る。…怖い。

「ゲイじゃないから、キス出来ないだと?お前の代わりはいくらでもいるんだよw」

というドラン監督の声が最後に聞こえたように思った映画。


ある意味痛快。✨
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