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SHAME シェイムのsoffieのレビュー・感想・評価

SHAME シェイム(2011年製作の映画)
3.0
2012年公開映画

主演のマイケル・ファスベンダーはこの役でヴェネチア国際映画祭主演男優賞を受賞している

男前のマイケル・ファスベンダーが
米国NYに住む独身サラリーマンを演じている。

題名の「SHAIM」は「恥」という意味なので、そのような意味が描かれた映画だと思って観た感想を書く。

NYの都心の会社の社員で、会社から地下鉄で数駅のマンションに1人住まいしている。
これだけで彼が一般的平均年収より稼ぎが良い事が分かる。

目が合った女性達は皆、主人公に好意的で、主人公の外見には異性から見て申し分ない完璧な特徴が現れている。
・白人
・金髪
・高身長
・整った顔面
・健康的な肉体美
・清潔感
・表情から知性も感じられる
・服装のセンスと高級感

そんなに歳が変わらない彼の上司は妻子持ちで、その上美人と見ると見境なく口説きまくる、多分自分ではイケてる勝ち組だと思い込んでいる典型的な痛い男性。

登場人物も台詞も少ない映画。

「SEX依存性」と認識される傾向にある主人公だが、現実的にイケメン独身で、特に女性と深い関わりを持ちたいと思わない男性はこんな毎日を過ごしてるんじゃないのか?と思った映画。

そう思う理由は、毎日仕事に忙しい30代会社員男性(日本人)の平均的1日の現実のルーティンを知ってしまった事にある。

彼等は朝の満員電車でいやおう無しに他人と身体が密着する、時には女性と密着せざるおえない時がある、そんな時不意に下半身が勃起したり、性衝動を抑える事がしんどいので、通勤前にサクッと1発抜いてから家を出る。
仕事中は仕事に集中しているが
スタイルの良い異性が視界に入ったり
声をかけられた時の距離感や、目に入る口元や胸元や、後ろ姿のくびれやヒップラインや足首をぼんやり見ている。

仕事終わりに独身だろうと既婚だろうと、たまに風俗に行く事が少なくない、特に営業職の男性は風俗好きが多い。
さらに、映画にもあったが女ばかりとSEXしているとたまにむき出しの欲望と力に支配されたくなるのでゲイバーに行ったり、男娼を買うが、多くの男性は自分が男とSEXした事がある事を決して認めない。

家に帰ったら、この映画の主人公のようにPCでアダルトサイトを時を忘れて漁ったり、寝る前にマッチングアプリを開いて好みの女性を見つけて「本日のおかず」にして眠りに落ちる。
それを延々と続ける。

…という事を知った上でこの映画を見るのと、知らないで見るのとでは感想が変わる様に思う。

欧米人は農耕民族日本人より性欲が大勢だと聞いたことがあるので、この主人公の行動に特に行き過ぎた依存感は感じない。

主人公は映画の後半で家にあるAVのDVDやらアダルトグッズ、アダルトサイトを山ほど見たPCを捨てて、会社の同僚である魅力的な女性とデートをする。

一般女性を前にした彼は礼儀正しく、相手を不快にさせないギリギリのラインで会話をするが、これは主人公の外見が優れているから、相手女性も「緊張してる?」と思いやりのある優しい態度を見せる。
しかし稼ぎは悪くないはずなのに、デートに誘っておいて彼女が地下鉄の駅の階段で「私はここで」と言うと、タクシーを捕まえる事も、送って行くよとも言わないし、気の利いた別れの言葉を言ってキスする事も無く別れる。

そして翌日、彼女を連れ出してホテルの一室に入るが、結局何も出来ないで返してしまう、その後プロのデリヘルを呼んでしっかりSEXする。

彼の妹の出現で、どうやら2人の育った家庭環境には何か問題があった様な気配があるが、深く掘り下げられる事は無い。

真面目に見える男性が所変われば卑猥な言葉と態度で女性を口説くのも特に異常な事では無いだろう。

30過ぎの独身男性の生体が、一流の俳優を通して描かれている映画。

「恥」とは何が恥なのか考えてると
大学を出て一流の会社に勤めている男性なら、育ちが良くて美人の恋人がいるか、育ちが良くて大卒の美人の妻がいて家庭を持っている事が社会人としての一般常識だとすると、彼は大きく外れていることになる。

会社の自分のPCを会社命令で取り上げられ、中身を見られた事で上司にアダルトサイトのヒット数が多すぎる事と、そのカテゴリーがマニアックな事から「変態野郎」という言葉が出てくるが、そう言ってる上司も女性から見たら分かりやすい変態野郎である。
しかしこの上司は妻子持ちで家庭を持っている事で多くの欠点が隠されている。

一般男性の実態を嘘偽りなく真面目に映画化したら、ドン引きの描写しか無いので、マイケル・ファスベンダーという男前で美しい容姿の俳優が演じる事で、素っ裸で家の中を歩いていても見苦しくない。
(あれはダブルボディを使ったのかそれとも本人のありのままなのか?)

骨格が美しい男性の裸体は一見の価値がある。

妹役のキャリー・マリガンの人生の方がきっとドラマチックだろうが、この映画では語られていない、なぜなら兄である主人公が関心を持たないからだ。

最後に走って帰るあたり、まだ家族としての絆や人として最低限の感情はあったんだと知ることが出来るが、淡々と描かれた主人公の日常に光がさす様な希望的な場面は無い、むしろ結局1周回って元に戻る様な終わり方だ。

救いは主人公が残酷なサイコパスではないので、女性が悲惨な目に遭うことは無い。
つまり外見が整った一般社会人の独身男性の日常は、第三者目線で見るとかなり恥ずかしい事になるという映画なのかもしれない。

公開が2012年なので10年前にわざわざこの脚本を映画化して作品として世界に公開したのは何の警告なのだろうか?

誰にも迷惑をかけていないが
社会人としていかがなものか?と考えさせる為の映画なのか?
だとすると大きなお世話だと思うけど…

始終抑え気味の映像と光が美しい映画だった。

あと、途中で妹が呼ぶ主人公の名前が変わった様に思ったが、違ったのかな。
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