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窮鼠はチーズの夢を見るのsoffieのレビュー・感想・評価

窮鼠はチーズの夢を見る(2020年製作の映画)
3.5
2020年9月公開

監督 行定勲

主演 大倉忠義 、成田凌

原作はBL漫画
漫画家 水城せとな
「窮鼠はチーズの夢を見る」
「俎上の魚は二度跳ねる」

サラリーマンの大友(大倉忠義)と
大学の後輩の今ケ瀬(成田凌)

大友は結婚しているにも関わらず不倫している現場を探偵になった今ケ瀬に掴まれる

大友は学生時代から、その整った清潔感のある容姿で女性にモテたが、恋人や妻がいても、迫られると流される「流され侍」の異名を持つ
「女にだらしない」面があった

妻と別れるつもりもないのに、言い寄られるとフラフラ浮気する大友
大友の浮気現場を探偵としてしっかり掴んだ今ケ瀬は、大学の先輩後輩のよしみで
「この調査資料どうしますか?」と大友に話を持ちかける

妻に浮気を知られたくない大友は
「どうにか妻には黙って何も無かったと言って欲しい」と頼む

そこで今ケ瀬は大学で初めて会った時に一目惚れしてから、ずっと好きだった先輩である大友に「キスさせてくれたら黙ってて上げますよ」と言ってホテルの部屋でキスを迫るが…。


⚠️〜〜〜⚠️以下ネタバレ⚠️〜〜〜⚠️
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原作漫画推しの映画アンチコメでは無いです、「作品として良かった」と思った感想を書いています。原作ファンの目から見た映画作品に対するレビューなので気分を害される方がいたらゴメンなさい🙏⚠️











実はこの漫画の原作が大好きなSoffie
映画化の話を知った時にキャストの顔を見て「原作に忠実ではない」とかなり気分を害して、この映画は見ないと思った。


水城せとなの
「窮鼠はチーズの夢を見る」
と下巻にあたる
「俎上の魚は二度跳ねる」はBL漫画史に残る長編漫画。

「片思いの絶望的な恋の心理描写」と
「ノンケを本気で好きになった苦しみ」と「異性愛者として30年当然のように女を抱いてきた男が同性に傾いて行く不安定な心理描写」
「本気で相手を愛していると気付いた所からの悪あがき」
「手に入ると分かったとたん逃げ出したくなる心理」
「自分の知らない自分を受け入れる葛藤」
「更に深く相手を求めて2人で一緒になろうと決心するまで」

の2人の男性の心理描写が細かく描かれたBL史に残る同性同士の現実的な恋愛の偉大な作品。

漫画ではゲイの今ケ瀬はとても綺麗な男の子に描かれていて、強いて言えば某アイドル事務所の山Pがイメージに近い。
先輩の大友はほぼ大倉忠義がイメージ通りだろう。

漫画を読んだ私としては
「今ケ瀬はもっとお顔がキレ系ゲイなのに」と映画公開からまる2年そこに拘りまくっていたのだが…

成田凌の他の作品を見て
「この役者さん不思議な人だな〜
ムサい系の男にも見えるし
イケメンにも見えるし
ハッとするくらいセクシーに見える時あるし、何より台詞回しに声の特徴があって
なんだろう…ハマると沼るタイプの噛めば噛むほど味がしてやめられないスルメみたいな俳優さんだな〜」と思ってから

この成田凌がゲイの役をやってる「窮鼠はチーズの夢を見る」ってどんな風に今ケ瀬を演じてるんだろう?と気になった

成田凌はこの映画で今ケ瀬を演じるために、原作漫画を読んだだろう
読めば今ケ瀬の外見が自分とタイプが違うと分かるだろう、分かった上で成田凌はどんな今ケ瀬を演じるのか見てみたいと思った。

行定勲監督らしい
台詞に「間」がある演出と少し冷たい感じの背景、漫画のイメージとどうか?と問われると、そもそものストーリーを書き換えて「似て非なる作品」に仕上がっている

なのでもう原作の事は気にせず
映画の1作品として観た

「間」があるにも関わらず
成田凌の無言の「雰囲気」が凄い!!
ストレートの大友がゲイの今ケ瀬の事がだんだん好きになって落ちて行く心理が
2人の俳優の「無言の空気」でちゃんと語られている。

映画の中の素晴らしい「台詞」は原作に正しいが、言っている場面が原作とは違う事が多かったので台詞の力が30パーセント程落ちている様に思えた
原作ファンとしては
「その台詞ここで言うんだ…へぇ〜…」と思うシーンもあったが
映画としてストーリーが成り立っているので良いでしょう。(上からですみません😔)

なんというか…えちえちなシーンがリアルに描かれていてふと「娼年」を思い出したが、あれより全然良く撮れてるけど
女の私がゲイのラブシーンを見て
「いや、痛いって言ってるやん
男の場合痛いは直ぐに出血に繋がるんだから!痛いって言ってんのに何続けてんの!?原作にそんな台詞無かったよね
なんでそれでラブシーンが成り立ってるの?原作で使ってたオリーブオイル取って来なさいよ!上手にやれば気持ちよくなれるのに」
と多少イライラしながらも、
映画の中の2人は互いに言葉に出来ない深い所で繋がって結ばれていく。

ラブシーンって監督の「色」がはっきり出るシーンだと思う、音楽と照明とカメラワークで美しく官能的に撮る監督もいれば、行定勲監督の場合、何の飾り気も無くやや冷ややかにリアルを強調しているように思う。

私としてはもう少しドラマチックな場面を期待していた。

婚約者を演じてたさとう ほなみは映画「彼女」の時と全く別人格を演じててビックリ!!
凄く可愛い放って置けない女の子を演じてて好感が持てた
彼女の役割は原作でもとても重要だったが
、婚約してから振るって酷くない?
原作はそうじゃなかったんだけどな

脚本家の好みかな?
より大友をクズに描いている

大友の部屋がやたらオシャレなデザイナーズマンションだったのも
「?」って感じだった
妻と別れて侘しいやもめ暮らしの大友は、もっと普通の1DKに住んでないと、今ケ瀬が良妻の様にせっせとご飯を作って、家の中を整えて、洗濯掃除をして、お風呂では髪も身体も洗ってくれて、ふかふかの布団で気持ちの良い事をしてもらって、翌朝はパリッとしたワイシャツを着せてもらって、今ケ瀬がいなくなったら困って寂しくてどうしようもなくなる様に落としていくシーンが、部屋がオシャレ過ぎてリアルに感じにくかったな
(あの大友のデザイナーズマンション本当に素敵だったけど)

映画ではストレートだった大友が、本来好きなタイプのはずのナツキと婚約までしたのに、別れてしまった今ケ瀬を待つために婚約破棄して、今ケ瀬も大友もナツオも全員1人ぼっちになった所で終わっていた…のはなぜかな?

映画の暗い雰囲気と台詞の「間」と、なんともやるせない嫉妬の感情が常にどこかにある3角関係を、最後バラバラにする脚本は「第2編」を作るためでは無いはず

ハッピーエンドの原作を
映画でハッピーエンドにしないって何故なのか不思議だったな〜監督の好みなのかな?

あと気になったのは
大友の元カノが今ケ瀬を呼び出して
大友と別れさせようとする場面で
「このままドブにハマるのを見てるわけに行かない」と言う台詞がある

映画ではこのセリフはまるで
「私の元彼が(ゲイになる)ドブにハマるのを見過ごす訳に行かない」
と男同士の恋愛を否定する様に聞こえるが
原作では
大学時代から現在に至るまで粘着質に大友に引っ付いて自分と同じ所まで引っ張り込もうとする今ケ瀬の性格の悪さを「ドブ」と表現している

この映画の脚本家さんはBL漫画を普段読まない人なのかな?好きなジャンルならこんなに同性愛を否定的に捉える台詞や、ハッピーエンドをわざわざ比喩的にバラバラにしないだろうと思う。

映画脚本の視点が「同性愛」を否定的に捉えているのが原作と違って悲しい。

昨今BL漫画が映画化される事は珍しく無い、特に水城せとなはドラマに映画にと引っ張りだこの原作者だが、彼女の作品を3次元化する時、絶対に某アイドル事務所のタレントが主演格を演じて、更に売れっ子のバーターとして原作と似ても似つかないアイドルが「なぜその役?」と思わざるおえないやっつけ仕事みたいに無理やり原作の中で大切な役を演じてる事がしばしばある、原作に忠実にキャスティングをして欲しいと思うのは我儘なのだろうか🥹

「窮鼠はチーズの夢を見る」は映画の1作品として見ると
成田凌の演技がなんともリアルで雰囲気があった、とてもセクシーな俳優さんだから、他の有名所のBL漫画の映画化にドンピシャなキャストで演じて欲しい。

見ないと思っていたのに見た映画で、思っていたよりずっと良かったと思った作品。
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