オルキリア元ちきーた

チョコレートドーナツのオルキリア元ちきーたのレビュー・感想・評価

チョコレートドーナツ(2012年製作の映画)
3.8
隙の無い作品に見えたが
何かがずっとモヤモヤする。

1970年代という時代だからだろうか?

まだこの時代のアメリカは
麻薬依存者よりゲイなどのセクシャルマイノリティの方が罪が重かった、ということか。
人権よりも親権の方が強かったのだろう。

ダウン症のマルコが、ただただ振り回されているだけで
親としての権利を主張し合っている大人達の犠牲になってしまっているのが何ともやりきれない。

一番引っかかっているのは
ルディが法廷で叫んだ
「この母親は麻薬に溺れているのだ!そんな人間に親は務まらない!」という一言。

至極尤もな主張ではあるし
実際に親としての責務を果たせているとは到底言えない親である事は認める。
しかし、その母親は救われなくても良い側の人間なのだろうか?

セクシャルマイノリティだけど仕事はあり
パートナーは弁護士で
住環境も整っているルディは
当時としたら「勝ち組」なのだ。

実際、同じダンサー仲間のゲイ達に
遅刻の言い訳をする時に
「いっぱしの家庭だって言いたいのね」とイヤミを言われたり
マルコを養育するためには、今まで勤めてきたショーパブのダンサーさえアッサリと辞めてしまう。
それだけ養育権を守る決意が固いと言えばそうなのだが
「自分はアンタたち(ダンサー仲間)とは違う」と、捉えられかねないような、スッパリとした切り替え方だとも思う。
だから、法廷の証言台に呼ばれた元同僚達は、自分のセクシャルな部分を偏見に満ちた弁護士に質問されても「いつものこと」として受け流しながらも、ルディとマルコとポールという「勝ち組」についての質問への回答には、結局、偏見まみれ弁護士と同じ「ショーパブに子連れっていかがなものか?」というニュアンスを含ませている。

この微妙なニュアンスによって、「差別意識」や「偏見」というのは、実は、あらゆる人間の中に存在している、ということを提示している。

悲しくも切なく、それでも前向きで力強いメッセージを含んだ作品であると同時に
差別や偏見や人権のあり方について、色々な面で考えさせられる。


追記しておきます。

本作を実話だと思っている方がいるそうですが
調べたところ、実話の部分は
「ゲイの男性がダウン症の少年を育てていた」という部分だけです。

主人公ルディがショーパブのダンサーという設定も、マルコの母親がダメ人間だという設定も、ルディにパートナーの弁護士ポールという相手がいた事も、裁判で親権を争った話も
そして最後の悲しい結末も
全部フィクションです。

本作のモデルになったダウン症の少年は、元気に生活してるそうです。

それを知った上で、この作品をどう味わうか?

それによって、鑑賞者の「差別」についての姿勢が浮き彫りになりそうな気はする。