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アーロと少年のRenのレビュー・感想・評価

アーロと少年(2015年製作の映画)
2.5
脚本が難航し監督降板と1年以上の公開延期を余儀なくされた難産映画だったことはファンの間では有名な話。今作は、そんな気の遠くなる逡巡とトライ&エラーの果てにアイデアの原液が濾されまくり、物語の軸の部分と映像美と狂気のみが残った結果ピクサー史のオーパーツと化した。狂気の一作。

『ダンボ』のピンクの象、『くまのプーさん 完全保存版』のズオウとヒイタチなどディズニーアニメ史を語る上で「狂気」は欠かせないけど、これらは狂気の演出のための狂気なのでまだ意味は分かる。同じくピクサーの『カーズ2』も珍作だけど、あれはヘンな人たちの曲芸お披露目会なのでこれも意味は分かる。しかし『アーロと少年』には、「正装で着込んだ一見マジメそうに見える人が延々とズレた言葉を話し数分毎に奇行に走る」みたいな混じりっ気無しの狂気がある。

CGは凄い。凄いけども、明らかに背景とテクスチャの違うキャラクターが画面に溶け込めず、もはやドンキの着ぐるみで撮影したZ級実写恐竜映画に見えてきてしまう。
超リアルな背景の中、恐竜とヒト「だけ」がデフォルメされた世界。つまり虫などは脚の節や腹のキモさがリアルに残っており、そんな虫や哺乳類を 如何にもアニメでございといった風体の恐竜とヒトがバリバリ食べる。狂気だ。

極めつけは、アーロとスポットが木の実を食べてトリップする数十秒。「言葉の通じない異文化の二人がドラッグで意気投合」は良くないアメリカなのよ。優等生の顔をするのに疲れたピクサーが自暴自棄になり好感度をフル無視したとしか思えない大問題シーン。

構造について少し真面目な話をすると、まず見せ場の少なさは問題。同じロードムービーでも『ファインディング・ニモ』はハプニングの手数で飽きさせなかった。探す側と探される側をカットバックで見せる『~ ニモ』と比較するのは少しズレてるかもしれないけど、12年前にできていたことがなぜ今作ではできていないの?と思う。

ラストの展開も一見感動するけどかなり問題ありだ。「異なる境遇/文化の者同士でも、一緒になりたいと願えばなれる」のが理想郷ではないの?本人の意志を振り払って「あなたはここにいるべきだからここに居なさい」というのは2010年代のメッセージとして古くない?

あと設定もまずい。もし地球に隕石がぶつからず恐竜が絶滅していなかったら?のif自体は面白いけど、その結果他の生命体には影響が出ず恐竜の知能だけが発達しているのは嘘だろと思う。アバンタイトルを全カットし、『ライオン・キング』のようにいきなりそういう世界ですと強引に入ったほうが良かったのでは。

その他、
○ しつこい川のモチーフ。一方向に流れ続ける川に飲み込まれればどんなに強い存在でも戻っては来られない。逆に、そこから生還し戻って来られた者には真の強さがある。
○ しつこい足跡のモチーフ。存在/信頼の証と解釈した。拇印のように泥で足跡をわ付ける風潮。この世に存在しない者は足跡を付けない。空を飛ぶプテラノドンは足跡を付けない。足跡のみならず「地面に付ける跡」の大切さ。
○ エンドロールで風景が映し出される演出で『バグズ・ライフ』を思い出した。自然が主役。
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