ふき

カリフォルニア・ダウンのふきのネタバレレビュー・内容・結末

カリフォルニア・ダウン(2015年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

カリフォルニア州で直下型地震が発生する中で一つの家族の再生を描くディザスターアクション作品。

本作は、レスキュー隊のパイロットであるレイが未曾有の災害に立ち向かい、危機に瀕している家族を救うことで、娘を助けられなかったトラウマを克服していくお話だ。災害現場に取り残された娘を助けに向かうレイと、父の助けを待つ娘のブレイクがカットバックしてお話が進んでいく。
お話はある意味定型的で、練り込み不足な箇所も目立つが、大地震の破壊シーンは迫力がある。ビルが次々に破壊していく引きの映像に、個人の視点で描かれる瓦礫の落下や床の崩壊など、制作費一億ドルの大作だけのことはある。そこに加えて、ドウェイン・ジョンソン氏演じるレイの問答無用の肉体美と、アレクサンドラ・ダダリオ氏演じるブレイクの問答無用のおっぱいで、男性女性双方の目に優しい作りだ。見ていて絵的に退屈するような場面はないだろう。

なのだが、私は本作について怒っている。
まずレイ側のお話だが、レスキュー隊のパイロットとして災害に立ち向かう立場ながら、実際に地震災害救助を行うポイントが非常に少ない。前半で倒壊するビルから妻を救出するところはいいのだが、以降は妻との関係修復に尺が当てられるので、救助シーンは実質ラスト三分の一だけだ。しかもレイの葛藤である「娘を助けられず家族に臆病になっていた」件は、妻と和解する過程で解決してしまうため、救助シーンで「この人は助かるのか! 助からないのか!」というハラハラが起こらない。助けられない人が出てくると、お話が逆戻りしてしまうからだ。
娘のブレイク側はどうかというと、行動するのが恋仲になるベンとその弟の少年オリーの三人だけなので、その時点で誰も死なないことが分かってしまう。だから何度地震が起きようとも、ゲームの主人公がピンチを切り抜ける様をカットシーンで見ているような安心感しかない。
そして本作にはそれ以外のキャラが災害に絡まず、つまりお話の要請で助かるヒーローとヒロインしか登場しないのだ。これではどれだけ絵面が派手でも、画面の隅の方でモブキャラが瓦礫に潰されても、怖くはないしパニックにもならない。それはエンタテインメント作品としてはいいバランスなのだろうが、ディザスター“パニック”の面白みは出てこない。

さて、ここからが、私が本作に怒っている理由だ。
災害や事件のような現実の悲劇をフィクションで扱う際、私が必須と考えていることがある。それは「恐怖の描写」だ。それがあればこそ、まだ体験していない観客が「やっぱ○○って怖いな、用心してなきゃ」と再認識し、すでに体験した観客が「竦んだのは私だけじゃないんだ、みんなそうなんだ」と励まされながらも「次は主人公みたいに行動できるようになろう」と自分の経験を再確認する材料となりえる。それが現実の悲劇を扱う映画に与えられるべき、「現実の恐怖を克服する」機能なのだ(体験した人が体調を崩すのは、機能としてはズレている)。
だが前述の通り、本作は災害をヒーローとヒロインが葛藤を乗り越える障害としてしか描いていない。本質的には「巨大な宇宙船が攻めてきたけど力を合わせて撃退しました」と同レベルのファンタジーだ。エンタテインメント作品としては成立しているが、現実に人が命を落とした災害を真摯に扱っているとは言いがたい。

しかし真に度し難いのは、ヨアン・グリフィズ氏演じるダニエルの扱いだ。
ここまで触れていなかったが、本作にはレイから妻を奪いつつあるダニエルというキャラが登場する。彼は将来義理の娘になるブレイクと地震発生時に行動していたが、彼女が危機的状況にも関わらず一人で逃げてしまう。だがその描き方は同情的で、自力で助けるのが無理だから警備員を呼びに行ったら、瓦礫が落ちてきて自分の足を失いかけて茫然自失になったから、逃げてしまったのだ。
つまり、ダニエルはレイのようなヒーローになれない、大多数の人々――“我々”の投影なのだ。この役柄があることで、観客は理想化されたレイに感情移入して実際にはあり得ない全能感で災害を乗り切るカタルシスを味わいつつ、ダニエルに感情移入して一般市民としての無力さを感じながらも、そんな人物が勇気を振り絞るシーンで「私も次は……!」と勇気付けられるわけだ。
当然そうなるものだと思っていた。同情的な描き方だし、きっとこの行動を後悔して、最後には娘を救ってレイと仲良くなったり、逆に死んじゃったりするんだろうな。なにしろ演じているのが「ミスター・ファンタスティック」のヨアン・グリフィズ氏なんだから、悪い人で終わるわけがない……と予想していた。
ところがこのダニエル、「一般市民を引きずり下ろして生き残る卑怯者」描写で掘り下げられ、ブレイクやエマに口汚く罵られ、なんの見せ場もなく放置された挙げ句、おざなりに退場させられるのだ。

これを最悪と言わずして何と言う。
実際に極限状態で誰かを見捨ててしまった人が本作を見て、ダニエルの扱いを見て、どう感じると思う? レスキュー隊のヒーローとその一家がハッピーエンドに到り、自分を守ることに必死な一般市民が人知れず死んでいく作品を見て、どう感じると思う? そういう人は本作を見ないとでも?
こんなオチをつけるなら、ダニエルが駐車場でブレイクを見捨てるシークエンスを、あんなフェアに描くべきじゃなかった。最初から「オレはお前の母親が目当てなんだよ! お前なんざ知ったことか! 自家用ヘリで脱出だ!」くらいの描き方にしていれば、こっちも「ほらやっぱクソヤローだw なるべく派手に死んじまえw」と見られたよ。

ゆえにこの点数、作品の出来が悪いとは言わないが「オススメできない」。
一応書いておくと、観客側が手を叩いて楽しむことについては、もちろん私は怒らない。むしろそのためにエンタテイメント作品として調整した結果のディザスター“アクション”なのだから、その見方が正しいのだ。
だが実際の資料映像を挿入して「災害を真剣に扱っています」ツラをしている割りに、最低限の想像力もない制作者には激しく憤りを感じる。ブラッド・ペイトン監督の新作『Rampage』が、また脳天気な作品になっていると期待したい。

ところ厳密なことを言えば、溺れるブレイクを助けず上階に向かったベンも、ダニエルと同罪ですよ。
ふき

ふき