ニトー

6才のボクが、大人になるまで。のニトーのレビュー・感想・評価

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今さら観賞。リンクレイターはやっぱいいなぁ。

邦題は若干失敗していると思いますが。これ大人になるまでっていうより、ようやく大人への一歩を踏み出したところで終わっているわけだし。句点まで打っちゃってるし。う~ん。

役者の肉体の変化は言わずもがな、画面の質感の変化や取り巻く環境・テクノロジーの変化などなど、その変遷を観るのが楽しい。

ラストカット(あの気まずい空気の中に和みがある感じがたまらない)の「この瞬間」の語りは、ハイティーンにありがちな自我の肥大と他者との表層的な係わり(シーナ周りとか)を通して、分かったようなことを散々うそぶいていたメイソンが、自然の中で二コルという他者に素地を曝した(まさに彼自身の繕わない自然さ)が故であり、その言霊には「重み」こそなくとも「切実さ」がある。

メイソンに、ひいてはエラー・コルトレーンくんに「重さ」を背負わせるには12年では多分足りない。でも、だからこそあの心地よい気まずさというのはあれくらいの「軽さ」がなければ出せるものじゃあない。

 

その軽さの代償と言わんばかりにオリヴィア(パトリシア・アークエット)にしわ寄せが行っていて、彼女に関してはちょっと不憫なまま終わるんですけど。

あとあれはメイクなのかどうか分かりませんけど、体型が結構変わるんですよね。その辺も生々しい。

 

あとエロスね。「ミスターノーバディ」とか、他の映画の感想でも書いた気がするけど、成長可能性を秘めた身体のエロさというのはやっぱり確実にある。

特にローティーンの女性というのはそれが顕著に表れる。だから、中盤あたりはぶっちゃけサマンサ(ローレライ・リンクレイター)にばかり目が行っていた。

決して際立って美人とか可愛いというわけではない。しいて言えばブサカワ系ではありますでしょうが、それが返って生々しかったりする。

リンクレイター、こういうところに自分の娘を配役するのってやっぱり親馬鹿なのだろうか。

とはいえあくまで主役はメイソンくんであることは貫いているので、サマンサの行事は悉くカットしていますね。それでも尺が長いのですけど。その辺はウィル・スミスみたいにならないあたりちゃんとわかっている気もしますけど、線引きを。

 

でもまあ、よく考えたら役者の肉体の年輪をそのままスクリーンに投射するという意味であれば、「ハリーポッター」シリーズって「6歳の~」の先駆け的な映画ではありますね。

まさに劇中でも謎のプリンスの発売シーンが盛り込まれてたりしますが、リンクレイターはやっぱり意識してたんだろうか。
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