NM

大いなる沈黙へ ーグランド・シャルトルーズ修道院のNMのレビュー・感想・評価

3.8
数年前のヒット作を今更ながら観てみて感じたのは、ここ最近よくある動画と共通するものがあるなということ。例えば大自然のなかでセリフ無しで素朴な調理をして淡々と撮影したものとか。山のなかのパン屋とかソロキャンプとか。
長時間だが、動画サイトでもこういうのずーっと見ちゃう、という人はこの作品もわりとラクに観られるのかもしれない。あれと違って映画はわざわざ選択しないと視聴できないところは大きな差だが。少し前から我々はこういう動画を既に欲していたらしいと感じる。丁寧に素朴に暮らしている人の様子をただ黙って、多すぎない情報で、押し付けがましくない映像。どうもそういうものに確かにニーズがあるらしい。
なぜ世の中がそういうものを求め始めたのか知らない。こういう映像はとても癒やされる、ということを誰かが発見し広まったという感じだろうか。今だからこそであって、例えば高度成長期には流行らなかっただろう。

内容としては、山奥の観想会(外界と触れ合わず沈黙のうちに毎日を祈りに費やす生活をするタイプの修道会。逆に活動会は教育や奉仕活動など積極的に世間と接する。観想会が他の活動で忙しい人たちの分まで専ら祈りを担当するという考え方。)の様子をただ黙ってたっぷり撮影しましたと既にネタバレされているようなものなので、大きな驚き等はない。
ただ普段人の来ないような場所にカメラが入って(申し入れをしてOKの返事が来たのは16年後とのこと。)、時祷のときも農作業のときも撮り、個室に一人でいるところにまで一緒に入室されて間近で撮られながらもそれでも精神を乱されず黙々と祈りや作業を進めることができるとしたらそれはプロでありベテランの域なのだなと感心してしまう。
私だったら、あっ撮られてる、どういうふうに映ってるかな、姿勢よくしよ、とか何とか雑念でいっぱいになるところだろう。寝る時も、今日もカメラマンさんとたくさん目が合っちゃったな、あの人は僕のことどう感じたかな、ところでカメラマンさんは普段どういう暮らしをしているのかなあ、とか考え出して目が冴えてしまいそう。

もう一つ気になったのはやはり修道会の高齢化。特にこういう院では若い手がないと生活が成り立たないだろう。修道生活が今後どうなるか彼ら自身は必要以上に心配したりしないだろうが、一般人からするとおせっかいながら心配してしまう。

明日のことを思い煩うことを捨てる、ということができるならそれは確かに神からの贈り物だと思う。選ばれし人たちが幸せに暮らせることを願う。
最後にインタビューされていた修道士が印象的。老いて視力も失っているが話す様子は笑顔で幸せそう。もう満ちたりて溢れ出ている感じ。
それと彼が杖一本で歩き回れるのも興味深い。建物内に余計なものが限りなく少ないからだろう。現代人の家ではこうはいくまい。
もっとも厳格な修道院と歌われているが、別にその厳格さに苦しんでいる人はおらず、むしろそのルールに従い簡素化された生活のなかに安寧を見出しているようす。珍しくみんなで出かけたそり遊びでさえもきっと大いに恵みを感じられるのだろう。きっとみんなその晩は神に感謝しながら幸せのうちに眠りについたはず。

作品内に差し込まれる聖句のチョイスがなかなか渋い。神様が華々しく人類を助けるようなところではなく、沈黙してしまって神の考えは神のみぞ知るのだ、といった箇所。何度か差し込まれるが同じ文も多い。始めと終わりとで観客に感じ方の違いを気づかせたい狙いだろうか。

難点は、長いのにポテチ食べながらとか見づらい。この人たちはこんな精錬な生活をしているのに自分ときたら…と何となくいたたまれない気がしてくる。
なにより問題なのは現代人がこの3時間近くの時間を確保できるかどうか。いっぺんに観れない場合は小分けもやむなし。寝落ちしてもいい。それでも忙しい人ほど響く映画だと思う。
NM

NM