Masato

名もなき塀の中の王のMasatoのレビュー・感想・評価

名もなき塀の中の王(2013年製作の映画)
4.5

2015年か2016年のGolden Tomatoes UK部門で金のトマトを獲得した映画。
「最後の追跡」デビッドマッケンジー監督作。

「最後の追跡」と共通する点は、男と男の間にある不器用な関係性と社会問題。

ベンフォスターとクリパがめちゃカッコ良かったように、とにかくこの監督が描く男たちは渋い。刑務所という、男しかいない環境の男臭さは誰しもが魅了される。

刑務所暮らしでまともな生活を送ったことのない主人公とその親はどちらも不器用。刑務所という、ある意味動物園のような場所ということもあり、不器用が故に暴走してしまうこともしばしば。
子を愛す気持ちがあるのに、それをなかなか表現できない親。親を慕う気持ちはあるのに、暴走してしまう子。まるで獣のような親子だ。そんな、愛し方を知らない、思ったように表現できないもどかしさが悲しい。
度々互いに心配をする想いが出てくるのだが、そこでいちいち感動する。

主人公は「獣」から段々とまともな人間へと成長していこうとする。決して暴れたくて暴れるのではない。「暴れる」ことでしか気持ちを表現できないのだ。そして、まともな言葉で表現しようとすることを段々と身につけていく。彼の中にある良心が段々と芽生えてくるところが良い。

そこで交わりあっていく社会問題。
アメリカの刑務所では再犯率が8割と聞く。なぜそうなってしまうのか?出所しても職にありつけなく、結果的に犯罪をしなければいけなくなるからだ。とある国では、更生をして出所後の就職先まで考える場所もある。そこの国では再犯率はごくわずかだ。
それに、更生もせずにただ檻の中に放置してるだけで何が変わる?結果は分かるだろう。
「犯罪者は更生する余地のない人間」というレッテルを貼り付けて放置するだけ。彼らは罪を犯しているものの、我らと同じ人間なのだ。変われる余地は存在する(本当に余地のない人もいるけど)。そんで刑務所の奴らは「面倒な奴が俗世から1人減る」というアホな考えで自分を正当化する。自分は正しいことをしたと勘違いしたまま、社会では再び加害者と被害者が生まれる。歪んだ正義感が社会を腐敗させるとはこのこと。

本当にすべきなのは、ルパートフレンド扮するセラピーを催していたオリバーのような「更生」をさせることだ。「消す」のではなく、「変える」ことこそがこの社会に必要なこと。
あと、「BOY A」でも感じたこと。罪を犯しているから一部仕方のないことではあるが、出所後でも罪を犯したものと世間を隔離するという社会構造自体にも問題はある。そういった社会構造が偏った思考を生み出しかねない。

こうした、受刑者をどう取り扱うべきかを問うことを通して、映画全体が「子を躾ける親」、「獣(主人公)を躾ける飼育員(オリバー)」(←侮蔑的な意味での表現ではない)などと、色々なメタファーになっている。非常に考えられている作品。


ジャックオコンネルは「バイオレンスレイク」ど同様に悪ガキっぽい役。顔がそんな感じだからなのかな。とても良い味をだす俳優。

客観的評価 45点
主観的評価 45点
90点
Masato

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