しゅん

みんな嘘つきのしゅんのレビュー・感想・評価

みんな嘘つき(2009年製作の映画)
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嘘/現実が絡み合う群像劇というピニェイロ作品に共通するテーマが一番色濃い映画であり、ゆえに監督のクセが最も強く出た映画でもある。そのクセとは、要するに「馬鹿はわからなくてもいい」という態度だろう。木曜、土曜と二度あったQ&Aに顕著に現れていたのだが、ピニェイロは批評家的側面を持ち合わせた作家であり、自分の作品が結果的に何を映し、何を意味し、どこに位置づけられるのかを冷静に捉えている。彼は自らの作品が難解だとかシネフィル的だとか半ば揶揄的に言われることを十分に理解した上で、あくまで高度な達成を誇る映画作りにこだわる。感情的に否定されても構わないだろう。何故なら、馬鹿にはわからない味わい深い快楽を彼は知っているからだ。馬鹿とは、知的さや知識量の問題ではなく、「自分より優れた大いなるものが世界には存在する」という至極当然な事実から目を背けたもののことを指す。SNSなどで大衆が簡単に意見を公にすることができるようになると、文化はポピュリズム、およびナショナリズム的傾向を帯びる。ピニェイロはそうした傾向に背を向け、成熟したコスモポリタニズムを提示する。アルゼンチンの映画監督がシェイクスピアやブグローを引用して、クラシカルな交響曲とチープなローファイ音楽を混交させるのは文化の折衷性を信じているからだ。本作も小説や絵画との間テクスト性を利用しながら、複雑な表情の75分を織りなしていく。現代音楽風の難解さに終始つきまとわれながらも、途中にはA・E・Dのスリーコードで構成されたアホみたいな曲が挿入される(その歌詞が映画内の状況を描いているところがミソ)。緊張と弛緩を作りつつも、映像と音響に対する美意識は一歩も後にひかない。その頑さ、おれは断固支持です。

サブタイトルが表示される度にあらわれる唐紅のバックの色合いとか、集団生活の面々が木に登って政治的スローガンを連呼するシーンとか、ラストに登場する馬がその前に割れた硝子の間から女の子を映すカットで一度だけ登場しているところとか、細かいところがとにかくツボだった。映画ではないけど、同じスタッフ・俳優を使い続けるコミュニティ性や文学からの引用の多さ、美意識の徹底っぷりはベル&セバスチャンやロス・キャンペシノーズといった自分の大好きなバンドを思い出すので、その辺りも好きな理由なんだろうな。

ちなみに、生ピニェイロは端正な顔つきとフレンドリーな応対がとてもチャーミングな方であった。
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